今日は、今回はヘルタースケルターについて
面白い考察があったので紹介しようと思います。(笑)
| ヘルタースケルター スペシャル・エディション<2枚組> [ 沢尻エリカ ]
4,212円
楽天 |
では早速見てみましょう
はじめに
はじめになぜ,ヘルタースケルターにおける死の表象を書こうと思ったのかについて説明すると,それは1週間前に観たこのヘルタースケルターという映画があまりにも衝撃的で,死について深くて間接的ではあるが生々しい描写に心を奪われたからである。
あらすじ
モデル界のトップに君臨する主人公リリコは本名を比留駒はるこであり、所謂「ブス」に分類される人物だったが、美容整形外科で全身整形をし、絶世の美貌を手に入れたのだった。ただ、この全身整形には抗免疫剤を使用しなければならない上に、後遺症として全身にあざができてくる。とにかく、美貌を手に入れたリリコは全女子の憧れとなっていった、が、ある時、吉川こずえといういわゆる、ライバルが現れる、このライバルの出現をきっかけに女子の憧れはリリコから吉川こずえに移っていき、それと比例するようにリリコの精神、身体も文字通り、崩壊していった。リリコが崩壊していく一方、リリコは全身整形を施した美容整形外科を臓器売買、薬事法違反、で訴えようともくろんでいる刑事に裁判の証言台に立つよう言われる、そして、もし立たなければ、過去をばらすと脅される。刑事に渡されたリリコの過去に関する書類を見た、リリコのマネージャーは日頃のリリコの自分に対する態度の腹いせにその書類をマスコミにリークする。すべてを失ったリリコは記者会見の時、ナイフを持ち出し自分の右目に突き立てたのだった。リリコは死んだと思われここで本編は終わり、時がたつ。ある日、吉川こずえはある噂を聞く、なんでも「やばい」出し物をするクラブがあると。こずえはそのクラブに足を踏む入れ、ウサギの着ぐるみを着た人物についていった先には部屋があり、その部屋におそるおそる入ると、なんとそこには右目に眼帯をはめたリリコが座っていた。
考察
作品を選んだ理由 今回、ヘルタースケルターで死の表象を行おうと思ったのは、二つの理由がある。一つ目は、主人公リリコというのは一種の人形と言えるのではないかと考えたためである、なぜなら、リリコは彼女の所属する、モデル事務所の社長、リリコは「ママ」と呼ばれる、人物に拾われ、全身整形を行い、その容姿は「ママ」の昔の姿そっくりなのである、つまり、リリコとは「ママ」の夢を乗せられた人形であり、比留駒はるこという人間は存在しないのではないか、もしくは比留駒はるこという自我は存在しないのではないかと考えたからである。二つ目は、リリコにとって「死」とは生物学的に心臓が止まり、身体機能が動かなくなったものではなく、彼女の表面、特に顔が崩れていくことではないかと考え、顔が崩れていくのと同時に精神も崩壊していき、その様子が部屋の雰囲気や映画の描写と比例しており、それが死の表象には最適と考えたからである。
人形の死 リリコは冒頭の部分でこう話している「シャッターが押されるたび、あたしの中で音がする、カチコチカチコチ、音がする、早くしろよと、音がする、それは私の中で何かが壊れる音」、つまり、リリコにとって仕事(写真を撮られること)は「人形」としての死への行進で同時に、リリコとしての完璧な何かが崩れていく音を「カチコチ」とあらわしているのではないかと考えた。それは、人形が時間がたっていくにつれぼろぼろになっていき、捨てられるのと同様のことを表しているのではないか。人形の持ち主はもちろん「ママ」である、実際、ぼろぼろになっていくリリコを見て、「ママ」は「あの子はもうおしまいね」と発言している。ここでのおしまいとは「リリコ」としての死を表している、つまり、人形の「死」とは人形(リリコ)が決めるのではなく、持ち主である「ママ」によって決められるのだ。
死(崩壊)の表象 ヘルタースケルターとは「ひっちゃかめっちゃか」という意味である、実際、リリコは文字通りのそれであるが、それとは別に、リリコの落ちぶれようもまた、それである。映画はリリコの全盛期から始まる、すべてが輝いているように描かれている、リリコ自身、リリコの部屋、リリコの雑誌で埋め尽くされた本屋コーナー、そこから、だんだんリリコにあざが出で来るようになり、精神、体共に崩壊してくると、メイクは黒が基調になり、部屋は薬(精神安定剤、免疫抑制剤など)まみれやガラスの破片まみれになり、本屋コーナーは吉川こずえの本ばかりになっていく。これはリリコが崩壊していくことを明らかに表している、そして、すべてを失って、最初のリリコとはくらべものにもならない様子に描写され始める、たとえば、雨[赤いライトで照らされた;これは崩壊(死)が近づいていることを表しているのではないか]の中、薬を這いつくばって探し、幻覚を見始める、などである。そして、すべてを失ったリリコが記者会見に臨み、右目を刺した時、時空が逆戻りし、リリコの全盛期だったころ光景が映し出された。これはリリコが右目を刺し、死ぬこと自体が人形(リリコ)と精神(比留駒はるこ)を分離させる事であり、時間が逆行し、リリコの最盛期が映し出されたのは、その分離されたことを表しているのではないかと考えた。
赤色の表象 映画の始まりに白いシーツに赤い血(?)が飛び散るシーンが映し出される、おそらくこれは最後のリリコが右目を刺した時の血であると推測され、リリコが映画の最後には死を迎えることを表していると思われるが、この映画の要所要所には、このように血ではないが、赤いものが飛び散ったり、流れるシーンがある、そして、そのシーンが出てくるときが必ずリリコの崩壊の段階が一つ進むときなのである、まさに、死(崩壊)へのカウントダウンであり、右目を刺した時の赤色の血の飛び方が最も派手であり、生々しさがもっとも表現されていることも、それを証明しているのではないか。
まとめ
映画ヘルタースケルターは「入れ物」であるリリコと「内容物」である比留駒はるこの方向性の違いに悩み、病んでいく作品だと、見ていて感じました。また、リリコの精神状態がリリコの体だけではなく、部屋や他人を使って、表現されており、見ていてこの場面は何を表しているのだろうかと考えるのが楽しくなる映画でした。最後のリリコがすべてを失い死を迎えるシーンでは、記者会見場にすることで、リリコとしての適切な死に場所を用意していたり、ナイフで右目を突き刺している、グロテスクなシーンなはずなのに、物凄く美しく描写されており死の表象という観点以外にも、深い映画でした。
なんだか斬新な考察ですね、、、
文章の出来としてはおそらく学生さんと推測されます、、、
今後も面白いもの載せていきます、良かったらコメントくださいね!
ではでは(笑)