大人になっても甘えの欲求が強い人は
自分中心に人や物事が動いてくれないと
不満で、不機嫌になって黙り込んだり、
人に「べき」論を言って周りを責め、
苦しめたりし、いつも緊張しイライラしします。
たとえば、甘えの強い夫が家に帰ってきた時、
自分を中心に家族が動かないと不満になることが
あります。
疲れて帰ってきたら、お茶が頼まなくても
出てくるというようでないと不満になると
いうようなことです。
奥さんが子供の世話をしていても、夫が
風呂に入ろうとしていれば、そちらを優先して
くれないと不満だということです。
子供は甘えが強いものですが、子供の
場合はストレートに甘えます。
大人の場合はそれは格好が悪いので、不機嫌に
黙り込んだり、べき論を言って家族を
責めることになります。
しかし、その不満、不機嫌が甘えからきている
ことに気づいていません。
何だか分からないが不愉快だとか、重苦しい
気持ちだとか、体がかたく緊張するとか、
という場合はその原因を考えてみることです。
いやな気分のままに行動すると、いつまでたっても
甘えの欲求があることに気づけません。
自分の幼児性、不快な記憶、自分の劣等感、
怒りなどに気づければ、人を責めるのでは
なく、自ら行動するということの積み重ねで
徐々に不快な心が薄らいでいくでしょう。

照れ屋、恥ずかしがり屋の人は、心の底に
自分の存在に対する漠然とした罪の意識を
持っているため、人から褒められても素直に
喜べない傾向があります。
子供の頃から、裏に別な意図なくすごいと
褒められていた人は、自分は褒められるに
価する人間だと感じることができます。
他人から褒められてもうろたえることも
なく、素直にありがとうと言えます。
邪心なく、単純で自然に行動できると
いうことです。
照れ屋、恥ずかしがり屋の人は例えば、
子供の頃に親がその辛さを家族に
印象づけて、周囲の同情や注目を集め、
子供にも辛い思いをして自分達子供を
保護してくれていると感謝することを
暗に要求するということで、
心が捻じ曲げられたためであることが
あります。
このように、親が辛い感情を示すことで、
情緒的要求を子供にしている場合、
子供は行動ばかりでなく、心まで
しばりつけられ、
褒められて、自分の存在を認めることが
できないので、
自分の存在に漠然とした
罪の意識を持つようになるものです。
その結果、大人になっても褒められても
素直に喜べない人間になるという
ことです。
正面からの称賛の言葉は拒否するように
なります。
しかし、内心では褒められれば
うれしいのです。
だから、褒められるとテレるけれども
褒められなければ不満になります。
自分で自分をけなしたことに対し、
相手がそれを拒否することで、間接的に
褒められるようにすることに
なります。

甘えのある人、劣等感の強い人は自分を確立
している人と接することで、心の成長が
できるものです。
自分を確立している人は、付き合う相手の
幼稚さも受容することができます。
幼稚さを持った人がどう変わっていけばいいかも
知っているので、その人と接して、感化されて
いくとだんだん幼稚さがとれて、自立的に
なっていくことができます。
しかし、甘えのある人、劣等感の強い人は
自分を褒め、チヤホヤしてくれることを
求めるため、自己を確立した人に近づく
ことをせず、表面的に褒め、チヤホヤして
くれる人と付き合うことになってしまいます。
それによって、その場の満足が得られても、
自分の成長は望めなくなってしまいます。
劣等感のある人の仲間と付き合うと、
他人を嘲笑し、その人を傷つけることで、
自分達は心の傷を癒すこともできる
でしょう。
逆にそれによって、人から嫌われる要素も
作ることになります。
甘えがあり幼稚な感覚の人は、同じような人の
わざとらしい言動が魅力的に見えてしまう
ものです。
大したことでもないことを、いかにもすごい
ことのようにする言動は一時的には
自分を満たしてくれるからです。
しかし、本質的な甘え、幼稚さは変わらないので、
同じことを繰り返してしまうでしょう。
甘えや劣等感から抜け出たいと思うならば、
自己を確立している人と接し、考え方を
聞いて、自分との違い、自分の改善して
いくポイントをしっかり知る必要があります。

