人間って何かにつけて「意味」とか「意義」とか「理由」とか求めたくなりますよね。

例えば「自分の存在意義は何なんだろう」とか「この世に生まれた意味は?」とか。

精神疾患の私も考えた事はあります。

もとより高校時代にイジメを受けていた時も同様でした。

行き着くところ、そんなもの無くても良いのではないのでしょうか?

それは自分を納得させ安心させて自分が生きていても良いというバックボーンが欲しいからなのかもしれないと考える様になりました。

我々人間も「動物」として両親の子孫存続の流れから誕生し、結果的に人それぞれ境遇は違えど大きくなって来た「だけ」であり、特別意味とか意義とか理由とかないのかもしれません。

しかし、全ての人に当てはまらなくても、自分がこの世に生まれ死んでいくまでに何かを残したいとか、何を残せたかとか考えてしまいませんか?

至極当然だと私は思いますし、私もそう考えたりします。

しかし、たまにもっとシンプルに考えても良いのではないかとも思います。

この世に生まれた事に感謝し、自分なりに考えて偉人になれなくても家族を愛し愛されて人生を全うできればそれで十分ではないでしょうか?

中には私には想像もつかない様な過酷な境遇で生きている方には「何を言ってるんだ!」とお叱りを受けるかもしれません。

人生は不平等。

そう考える人も少なくはないでしょうね。

私は知ったかぶりはできませんので、自分の境遇でしか語れないので、ある意味恵まれて生まれ育ったと思います。親には感謝しています。

自分の子供達には感謝を求めませんが愛情は注いでいるつもりでいます。

しかし、妻に対してはそれが不足しているのではないかと最近反省しています。

なるべく「ありがとう」や「お疲れ様」など声を掛けることから改めて「家族」を構築しています。

常に相手に対するリスペクトは忘れてはいけないと思います。家族でも他人でも性別年齢問わず。

人としての尊厳を尊重しつつ自分もそうされたいと思う今日この頃です。