その後、僕のお腹は何故か平穏を取り戻した。

 

まさか本当に熱燗が効くとは思わなかった。

ところがそうなってしまうと順調に酒を飲み続けてしまうもので、

昼になる頃には良い加減に出来上がってきた。

 

こうなると徐々に怖いものがなくなってしまうのである。

 

そうこうしているうちに昼食にご主人と義実さん(バルタン老人)が戻って来られ、

席に着くなり酒を飲み始めた時に、良い感じに酔っていた僕は気負いもせざに義実さんに話しかけてしまった。

 

「あのぅ…先程、お背中拝見したのですが「唐獅子牡丹」って、

やっぱり高倉健さんの映画に影響を受けられたのですか?」

 

すると義実さんは吊り上がった目と眉を下げて話し出した。

「おぅ、これか?ワシ若い頃なぁ、健さんの映画があまりにも格好良すぎて映画見た後すぐ彫師んとこ走って行きましてん

『……はぁ…はぁ…すんまへん…唐獅子…牡丹…入れて下さい』言うて。ワハハ!」

 

これは…かわいい…。

 

見た目と中身のギャップが酷すぎる。まるで僕と変わらないような単純な人

(僕は自分を単純で影響を受けやすい奴だと思っている)かもしれない。

 

「マジすか!まだお若い頃だったから衝撃が大きかったんでしょうね!」

 

「せやねん。けどワシが極道なったんは洋ちゃんの影響や。

 ワシ、若い頃に堺東の銀座通りで連れと二人で酔ぅて。肉屋のガラスをカチ割った事あんねん。

 ほんで、肉屋から相撲取りみたいな巨大なオッサン出てきてワシら首根っこ捕まれて

 引きずられかけたときや…。銀座通りの入り口に洋ちゃんが立っとったんや。

 白いスーツ、白いカンカン帽、白いエナメルの靴…。

 それで斜めにこっちを見下ろしとったんや。いや、正確には見下ろされてるように見えたんや。

 ほんでワシは慌てて『洋ちゃーん!』言うて叫んだんや。

 ほんなら、オッサン慌てて手ぇ離して『榊さんのお知り合いですか!』言うて。

 ワシは…その瞬間、極道になろうと決意したんですわ」

 

「…え、えぇ?」

 

僕はそろりとご主人の方に視線を移すと、眼鏡を下側にずらしたご主人は

小声で「カー」と言いながら片手で閉じた瞼を押さえていた。

 

義実さんは続けた。

「ワシ、ガキの頃はいじめられっ子やってん。それで、泣きながらこの家の前を行ったり来たりするんや。

 そしたら洋ちゃんが出てきて『なんや、義実。誰かに虐められたんか?』って聞いてくれんねん。

 ほんならワシ『待ってました』と言わんばかりに泣きながら言うねん

『ヒック…ワシ、あいつに殴られた』言うて。ほんなら洋ちゃん走っていって、

 そいつシバいてくれんねん、ガハハ!」

 

きっと少年時代の義実さんにとってご主人は身近な憧れのスーパーマンだったのだろう。

 

そこで漸くご主人が口を開いた。

 

「お前はほんまに、よう虐められてたのぅ…。

ま、こういう訳で年下の親戚が皆極道になってしもた。ワシの組へは誰一人入れんかったんやが…。

どいつもこいつも、どうにかこうにか入り口見つけてそれぞれ組に入り込みよって。

この義実なんぞ未だに皆さんにご迷惑をかけとるさかいに、全部順番にワシが頭下げて周ってますねん。

今回の祭りでも神主さんやらテキ屋の親分にやら、ワシが頭下げて周っとる」

 

「何をされたんですか?」

 

「祭りの日は神社の境内で茶店を開かないかん。

そんなもん、ワシかて別にやりたぁないんやで?そんなもん、

的屋の仕事や。ワシは地元の顔として仕方なくやねん」

 

ご主人が煙草の煙を吐き出しながら言った

「ワシはもう大昔に足洗っとるのに、未だに祭りの時にはテキ屋の親分がうちに挨拶に来よる。

このアホが面子でデカい店出しよるから

テキ屋の衆がその分ええ場所に店出せんようになってまうんを謝ったがな」

 

「そんなもん、別に毎年のこっちゃし…。それよりも神主や。

ワシが『今年はこんだけの店やるさかい、場所あるか?』言うたら

『…ありませんね…』とか抜かしよる。

せやから『おい神主、神社の見取り図持って来い』いうてのぅ。

それ見ながら『ここにあるがな?』言うたら『ほんまですねぇ』とか惚けた事ぬかしよるから

『ほぅ…祭りの日にワシに境内で暴れて欲しい…と?』言うたら青なっとったわ」

 

相手はこの恐ろしさである。その神主さんは相当怖い思いをしたに違いない。

 

「いやいや…神職の方にそんな事したら駄目です…」

 

義実さんはニヤリと笑い「やっぱあかんか」と言った。

 

ここでまたご主人が溜息交じりに言った。

 

「せやから又、ワシが謝りにいかないかん…」

 

「いやいや、ワシかて何もただで場所借りる訳ちゃうやん。

ほんでテント張ったら張ったで木が邪魔でのぅ。ぶった切ったったわい」

 

こうなったら殆ど漫才である。

 

「いやいや、そんなもん勝手に切ったら駄目です」

 

「やっぱあかんか」

 

「その枝はどうされたんですか?」

 

「捨てるとこないさかい、川に流したったわい」

 

「いやいや、それも駄目です」

 

「やっぱあかんか」

 

一連の掛け合いを見ていた飲食中の他の客達が苦み交じりに大笑いをした。