いよいよ中学生編に突入。
思春期のことを振り返るのはなんだか嫌だ。
甘酸っぱくほろ苦い青春とは呼べない思い出ばかりですが、中学3年間は本当に楽しかったし充実していたと思います。
地域の公立中学に普通に進学したわけですが、母校の小学校ともう一つ校区には小学校があったので知ってる人と知らない人が半々って感じ。
だいぶ人見知りも解消されてたし、良く喋る面白い奴ってキャラだったので友達はすぐに増えた気がします。
中学校入ったらまずは部活選び。
私は陸上部に入部しました!
野球が好きなはずなのになぜ陸上部かって?
それは中学には野球部がなかったから!!
野球部、バスケ部、バレーボール部という王道スポーツ部がなかったのです。
そのため小学校まで色んなスポーツをやってたスポーツ万能マンは皆、サッカー部か陸上部に入部するしかなかった。
そのため、自分の代のサッカー部と陸上部はなかなか強かったはずです。
関東、全国に進出するほどではなかったですが。
一応、小学校でリレーの選手をやってたしそこそこ速いかな?なんて思っていたら隣の小学校は足の速い子が多く短距離では敵わない。
体育テストで初めて走った1500mが6分ちょいで、小学校の走ろう月間で走るのはそこまで苦じゃなったので長距離種目を選びました。
長距離ってのは実に地味でね。
ひたすら走るしかないのです。
短距離や跳躍のみんなは休みながら楽しそうに練習してて羨ましかった。
いや、短距離や跳躍のみんなもちゃんと練習していたんですよ。
ただ長距離の練習が地味で「いいなー」と思っていただけです。
顧問のウジベ先生は体育大出身者で、学生時代も関東大会とか全国大会には出てたのかな?
自分たちがふざけ過ぎて怒ることはあったけどすごく優しい先生で、競技に関しては非常に科学的なトレーニングをする先生でした。
練習メニューも各種目ごとに毎週月~金までプリントに印刷して、それを生徒が主体でこなしていく。
先生はあくまで技術的なアドバイスをたまにするくらいで、後は練習を見守ってるくらいでした。
今振り返るとしっかりとしたメニューが組まれていたしもっと真面目に取り組めば良かった。
どこかで「やっぱ野球したいな。」なんて思いながらやったりしてたからなぁ。
結局3年間1500mを続けたけど都大会に出ることも出来なかった。
うーん、今まで後悔したことなかったけどこうして書いてみるともっと練習しとけば良かったって思う。
後悔先に立たず。
やっぱやれるときにやれるだけやらなきゃダメだ。
あとウジベ先生はウォームアップとクールダウンは口うるさく「サボるな!」と言っていた。
特に練習後のストレッチは欠かすなと。
家でも寝る前にストレッチするようにと言われ自分はしっかりやっていた。
いまストレッチトレーナーとして働くきっかけに「ストレッチでのケアを自分も人に伝えられたら」と思ったというところもある。
中学からクールダウン、ストレッチの習慣がしっかり身についたからかプロレス10年やって慢性的な首、肩、腰の痛みはない。
膝は前十字靭帯を断裂して再建したけど、なんなら昔より調子良いくらい。
今はさらに体のケアは意識している。
この意識は間違いなくウジベ先生のおかげ。
ありがとうございます!!
野球は出来なかったけど、体作りの土台を作り上げることが出来た陸上部。
何事も基礎が大事ってことですね。
次回は人生を変えたといってもいい生徒会について書きたいと思います!