出会いは今から8年前だった。
その時彼に会って抱いた感情は全く覚えていないが、温度は今でもよく思い出せる。
ゆで卵を冷水で洗った後のような、温かさと冷たさを感じた。
その頃私は27歳。
生きることに必死だった。
立ち止まると居場所がわからなくなる恐怖心と、
いっそう誰かに甘えてしまいたいと思う気持ちの間にいた。
彼には家庭があった。
形だけの家庭は、彼に無機質さを与えていた。
自分の幸せを知るまでには経験を積む必要がある。
私たちには8年という歳月が必要で、
その間私は3人の人と付き合い、
そのうちの一人と結婚した。
結婚生活に終止符を打ち、
新たな生活をスタートさせていた。

久しぶりに会った彼の瞳には、
私がどう映ったのか、
その時は心を読むことが出来なかった。
今ここにいるはずの体とは別に心をどこかに落としてきたのか、ここには無かった。
初めてのデートは焼肉屋さんに行ったが緊張してかお肉の味を覚えていない。
仕事のこと、今までの恋愛について話をする事で今までの時間を埋めようと試みた。
それから同じ時間を共有す中で、彼がしてくれた質問に答えることで、
自分の気持ちに整理を付けることが出来と思う。

心にある感情がちゃんと言葉で表現をできることに安心した。
結婚を続ける彼にとって私の存在名前を付けるとすれば?と
当てはまる言葉を探したが見つけることが出来ないまま、とにかく私いつも笑っていた。

笑っていれば誰も不幸にはならないし、
きっといい事があると思えたし前に進んでいける気がした。

渋谷の明るい街を走るポルシェ。
ナンバーは33。
奇しくも私の年齢。
「また結婚したいと思う?」
彼は運転中で前を向いて話した。
目を見て話すべき内容だと思ったが私は答えた。
「一人で生きていくイメージは出来ない。ということはまた結婚したいんだと思う。」
結婚がしたいという夢見こごちな感情ではなく、
私は子どもが欲しかった。
親になること、守る物がある人生を知りたかった。
絶対にこの人と。という決意がないことがバレないように、私はサイドミラーにうつる後ろの車を見ていた。

それはまるで私のように、前を向いていても、
心はいつも一歩後ろにある感覚。
ついてきているか、サイドミラーで確認しなければ、
体と心がどんどん引き離されいく感覚。
「僕は一緒になりたいと思うよ。ただ、この状態では進めないから、少し時間がほしい。」
そんなありふれた言葉に心はは1ミリも動かなかった。
温かったら美味しいはずの味噌汁を
大きくすすったような感覚。
美味しいだけどね。と。


失敗する事で学ぶ事があるというが、
私は前回の結婚を失敗したと思ってい無かった。
なぜなら、結婚していた時間もほとんどは幸せだったからだ。
離れた時間は私にとっては初めてだったが、
彼が7年もの経験が有った。
小学1年生と中学1年生くらいの差。
7年という歳月は、子どもを大人にもするし、
夫婦を他人にもするんだ。

このまま名前のない関係を続けることも、
離れることも出来ないまま10ヶ月の間が過ぎた。
心のどこかにいつも迷いはあったが、
遠くのトンネルの光を見つめているような、
小さな点がだんだんと大きくなる期待はずっと持っていた。

そんな頃、いつも通り一緒にいる時間の終止符を知らせる時。
「そろそろ。」
彼は立ち上がり机に置いた時計をつける。
その瞬間に、私たちの世界に時間という数字が姿を見せる。
夜中23時過ぎ。
彼が帰る時間を、許可なく入ってきた時計の針が指差す。
私の知らない場所へ。
知らない人への元へ。
季節を先取りした10月のおでんを食べていたからか、
いつも以上に気持ちが先走っていた。
話す予定ではなかった言葉がすらすらと口を動かしていた。
どんな言葉を並べても彼を先取りできないもどかしさと
自分の未来への不安は消せるわけもなく。