麗しの皆さま
ごきげんよう
備忘録として記したいことは多々あれど‥
他の優先させたいことをしているうちに、あっという間に月日が過ぎてゆくわー。
記事の時系が前後しますが‥
父方の遠縁で、まだ浮かばれていないかもしれないある女性の魂のことが、以前からずっと氣になっていまして。
ふと、お仲間さんからきっかけをいただいて、4月半ばくらいに、橋本市内の三石山不動寺祈祷寺 の僧侶の妙泉さんに相談してみたのでした。
それならば‥とご提案いただいて、
二週間先に行われる合同慰霊祭に参加することに‥。その間にも一度、夫婦でご祈祷に行きました。
✴︎過去に命を落とされたこの地域の隅田一族や、同じく過去に起きた、地域の大事故で命を落とされた人たちの慰霊でもあったようです。
他院でその女性への読経をお願いしたことは何度かありましたが、三石山不動寺での合同慰霊祭に参加してみたことで、その女性への供養の思いが、何かね、違ってきたように感じています。
先祖を想う氣持ちは大切にしたいですが、供養供養と、あまりにもそこに重きを置くのはどうかな、という思いもありました。
以前に比べると、幽界は縮小しているようで、幽界にプールされていた魂たちも、順次、昇華されてきているようですしね。
輪廻と転生はワンセットではなくて。
輪廻のシステムには、トラップもあったりするようですから、この3次元に生きているうちに、それらのシステムを把握しておきたいもの。
合同慰霊祭に参加することになった流れは、ほんとうにありがたかったです。
郷土料理がとても美味しくて
龍笛を吹いていただいたり
お話ししたり、整体なんかも始まったりして。
計画していたわけでなく、ふと、やってくる流れにゆだねてみると、何がしかの道に繋がったりすること、ありますよね。
わたしは、パターンにはまるのを好まない氣ままな変人、自由人。かつ、感覚人間でして。
細胞の感覚?とでも表現しましょうか。
ムズムズするような感覚であるとか、最初はピン!ときても、あれ?もう、それはよいかなぁと、変化している感覚を覚えると、ごまかせなくなってくるんですよね。
数年前のある時。
これから、近くの〇〇神社⛩に一緒に行きませんか?と、近所の友人に声をかけていただいたことがありました。
頭では、うん、行ってみようかなと、考えているのに、わたしのこの口は、やめとくわ、と発していたのです。
あれー?
なんでそんなこと、言うたんやろ?
後日にわかったことは、
お誘いされた神社には、神と呼ばれる存在はおらず、別の良からぬ存在が入り込んでいるようでした。
わたしのガイドさんが調整してくれたのかも。
わたしのガイドの名前はソフィアさん
さらに以前のこと。
夫の運転でその神社に行こうとした際、神社に通じる道の手前にあった大きめの石に、車をぶつけたことがあったんですよね。
これは伏線?
ふと感じ得た感覚であったり、氣になる出来事には、何らかのヒントがあるのかもしれませんねー。

佳き時をお過ごしください






読んでいただきましてありがとうございました
ぽちっとクリックしていただけると嬉しいです