麗しの皆さま
ごきげんよう
知空希ちゃんの記事に
うなったぜ~
言葉の紡ぎかたに
感服しました。
3次元に生きていると
いろいろありますよね。
上手に糸を紡げなかったとしても
紡がないと作品はできない。
完璧でない作品もまた
愛おしかったりする。
6月に糸かけ曼荼羅の
ワークショップに参加した。
糸かけ曼荼羅は
かなりの集中力が必要で。
打ち込んだ釘に
かけていく糸の順番は
必ず決まっている。
力を入れすぎると糸は切れる。
弱すぎると糸は緩んでしまう。
釘に糸をかける順番が
1つでもズレると
曼荼羅は完璧に完成しない。
そこには
自分の人生図が表現される。
わたしは
しょっぱなから糸が切れた。
実はわたしの至らなさから
ワークショップの時間に
大幅に遅刻してしまったのです。
大変失礼いたしました
しょっぱなから糸が切れたのは
そういうことも表れているのかな?
沢山助けていただき
そしてご教示いただきながら
修正はできた。
その後の
糸をかけていく途中にも
度々間違えて。
それも何度も戻って修正して。
それからもっと進んでから
また間違いに気づいた。
随分進んでいたから
今度は修正するには
かなりほどかないといけない。
これまで
歩んできた人生において
もっとこうすればよかった
あんなこと言わなければよかった
・・と 反省したり
後悔したりすることは
何度も何度もあった。
完璧主義というわけではなく
むしろ慎重さに欠けていたと思う。
誰しも多少は
あるものなのかもしれませんが・・
そんな自分が嫌いだったことも。
それがこの糸かけ曼荼羅に
表現されているようで・・。
これはただの
手芸作品の域ではないと
その時感じたのです。
その間違いは
沢山ほどかないといけない。
時間もかかる。
だけど戻れば修正は可能。
さて、どうする?
様々な思いがめぐった。
よし!やり直すのではなく
糸のかけ間違いを
失敗を
見ていこうじゃないか。
間違いのある作品だけど
これでいい。
あくまでもその時のわたしの心境です
これから先
糸かけ曼荼羅は
たぶんもうしないと思う。
この糸のかけ間違いを
愛おしく受け入れるために。
知空希ちゃんの記事を読んで
自分を慈しんでいこうと思ったの。









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