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突然ですが、よくコーチングとかで引き合いに出される『ゲシュタルトの円』ってご存じでしょうか。
下の図の左側のような視力検査でよく用いられる一部欠けてる円のことを言うようです。
「この円のどこが気になりますか?」というと、大体この欠けた部分と答えるそうです。そりゃそうやろ。
そしたら「人間はとかく欠けてる部分が気になり、その他のきちんと円になっている部分は気にならない」という風に話が展開されます。いやいやいや。逆にほとんど全てが点線で描かれてる中で一部だけ実線になってる円があったら今度は実線部分が気になるって言うやろ。
と言いつつもこの話に乗っかっていきますが、人はとかく欠点・短所が目に付きます。それが自分であっても他人であっても、良いところよりもとかく悪いところが気になる。
人の能力は一次元では判定できない
私は受験勉強を頑張ってきて、それなりに評価していただく結果を得ておりますが、たまに思うんです。
『ペーパーテストで能力評価してくれる世界で助かったな』って。
ペーパーテストでしたら、傾向と対策立てやすいですし、リアルタイムでの即応力とかあまり関係ないですし、何より「感情論」でころころ結果が変わったりしない。
端的に言うと、受験の主要科目に「接客」があったら私はきっと落伍していました。でも社会に出て「接客」は超重要スキルです。受験勉強で採用されていないからといって軽視すべきものではありません。
引き合いに出すと怒られてしまうかもしれませんが、コミュニケーション能力が偏差値のように数値化されて、今の(少し前の?)『学歴社会』におけるペーパーテストのように社会的な評価に直結するような社会であれば、キャバクラ等で働いている接客業の方の足元にも私は及びません。単純に私は運がよかったんです。自分の得意なもので評価される社会・時代に生まれたというだけ。
社会的な評価、というものを度外視しても、人の能力は多面的です。
私はよく(一昔前の?)RPGゲームの敵キャラのステータス表を引き合いに出しますが、「ちから」「すばやさ」「かしこさ」「MP」「HP」など多様なステータスがあって、六角グラフのようなもので評価されている図があります。「ちから」が弱くても「すばやさ」が高いキャラもいる。「ちから」だけで比べると優劣がついてしまいますが、総合評価ではどちらが上かは好みの問題になることが多いのではないでしょうか。
あらゆる能力において、全てが包含されるような場合には「優劣」となるのかもしれませんが、なかなかそういう状況はないのかと思います。経験のない若者と熟練のプロとでで比較しても「若さ」や「可能性」という軸では若者には敵わないわけですし。
そう思うと、優劣は極めて限定的な軸で見たときに限った話であって、例えば技の上手い下手や段位の上下や大会の賞の受賞歴などでうぬぼれてしまうなどというのは、それ自体がナンセンスな気がします。
自惚れを避け、その上で様々な相手に対して「自分より優れているところ」を積極的に見いだせるようになりたいですね。
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