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みなさん、何か物事を学習する際に気を付けてることとか、こだわっていることってありますか?
人間いろいろ個性があるものですから、その習得の仕方についてもその人その人の特徴があると思っています。ご自身の特徴をよくとらえて学ぶと効率がよいのではないか。今日はそんなお話です。
とはいえ、網羅的に類型化しているわけでもないので、自分のタイプから少しでも話を膨らませられたらと思っています。
「人に教える」と思って学ぶ
私は何かを学ぶとき、大体「これを人に教えるとしたらなんて教えるんだろうか」と考えて学ぶようにしています。
自分が受け取るだけだと、どうしても「ここは丸暗記だ!」という気持ちが強くなったり「よくわからんけどこんなもんなんだろう」と思ってしまっていまいち理解が進まない。
そこで、第三者から「これはなんでこうなってるの?」「ここのところがまだよくわからないんだけど」と問われたと想定して、自問自答をよりリアリティを持って行うと、なぜだか思索がうまく進んで理解も進みます。
「なぜだか」というところが曖昧ですが実はポイントかと思っています。人によっては「どうせ同じ自問自答なんだから、第三者に教えるように考えても、自分だけで考えても同じじゃないか」と思うかもしれませんし、実際私もそう思うところもあります。
それでも、こう考えた方が私はやりやすいし、自分がうんうん悩んでるよりは少なくともストレスは軽減されます。
勉強でも、少林寺拳法の技術でも、「他人にどう伝えるか」ということを考えると私は少ないストレスで解像度が上がっていきます。
その他
例えば「テストで問題を出すとしたらどう出すだろうか」という学び方もあろうかと思います。
これは、多くの知識がフラットに並べられた場合に「その中でポイントはなんだろうか?」というスタンスで見る際に有用であると思います。
多くの情報のうち、特に肝になる部分を見定めるには、同でもいい問題をテストに出すのではなく、ちゃんと要点を抑えた出題をすべき。もしくは計算問題など重要度の低い問題も出題するとして、点数がどのように配点されるとバランスがよく、構造をとらえられているだろうか、などと考えると、単に自分が理解するだけではなく、その構造もより明確化されていきます。
主体・客体は逆転しますが、「テストで問題を出す」という観点ではなく「テストで点を取るには」という見方もまた重要です。「同じじゃないか」と思いますか?そこには自分以外の「出題者」が存在する点で異なります。
出題者が自分の身近な人ならどうでしょう。親とか上司とか、これが部下や生徒でも構わない。「この人ならこういう出題傾向がある」と相手を想定することで対策の軽重も変わりますよね。
後半は「学び方」という枠を超えた発展形ではありますが、大切なことです。
「学びの型」という意味では、(教えるのではなく)「出題する」と思えば、より自分の理解が深まる人もいるでしょうし、どちらかというと「出題されていい点を取りたい」というモチベーションのほうが学びやすい人もいるかもしれません。
あなたはどういう学びの型を持っていますか?
少林寺拳法の学び方
少林寺拳法では、以下のような学び方があります。
主観的に学ぶ:実験法
客観的に学ぶ:誘導法
第三者視点で学ぶ:観察法
技を学習するときに、3人で組み、技を掛ける人、掛けられる人、観察する人が、それぞれ実験法・誘導法・観察法を用いて学びます。
実験法はわかりやすいですね。自分で色々技を試して学ぶ。
誘導法は「さっきの掛け方よりこっちの方がよかったよ」とか、「先生はこうだったけど君のはここが違っているな」とか、掛けられた人の感覚を相手に伝えて誘導します。
観察法は第三者視点で「君たちは脱力してやってるのかもしれないけど、外から見るとここにこんな力みがあるように見えるよ」などと、第三者だから言える客観的なことを伝えます。
同じ技でも、視点が変わると見え方が変わるわけですね。
「学びの型」とは少し違うかもしれませんが、どのような観点が自分が学びやすいかを把握すると、無駄なロスがなくなって効率は良くなると思います。
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