松戸上本郷道院のブログへようこそ
今回は、法話ということで「覚悟を決めることの大切さ」を書きたいと思います。多分に私見が入りますのでご了承ください。
満足できる人生を歩む
今、あなたは満足できていますか?
自分の人生に生きがいがあるとか、まわりから認めてもらえてるとか、そういう自己肯定感を抱けていますか?
道院では、明に暗に、満足して生きられる生き方を伝えたいと考えています。なぜか?今回はそれを書いていきます。
人は他者と共に生きなければならない
人間は一人では生きていけません。
当然に会社であったり学校であったり、なんらかの集団の中に属しながら生きていきます。集団の中で生きていくと、どうしても「普通」という概念に振り回されます。
「普通であろうとすること」は、協調性を保つために必要なことです。
しかし、、、
人はとかくまわりに流される
普通であろうとする努力は必要ですが、これが度を過ぎるとどうなるでしょうか。
人には個性があります。人によって大切にしたいもの、大事なもの、興味があるものは異なって当たり前です。
でも、大切なものや好きなものを「好き!」と言うのに「否定されたらどうしよう」「バカにされたらどうしよう」と思うこと、ありませんか?
まわりと合わせておけば「普通でいられる」「変な目で見られない」。これはかなり強く人の心に根付いていると思います。人はとかくまわりに流されるのです。
「自分らしさ」と向き合う
流されることを悪いとは言いません。最初に述べた協調性は、社会で生きる上で重要です。
ですが、そればかりではなんの個性もない人になってしまいます。
「これは譲れない」と思うものを持つ。その思いは流されずに貫く!そして行動する!
こういう、「自分らしさをもった人」になりたくないですか?
こういう人になることを勧めるに至る、過去の出来事を書いていきます↓↓↓
ある採用現場を見て
昔、とある企業の採用に関わったときの話です。
受かる人は、採用チームでよく話題に上る。
その人のキャラが強く伝わっているんです。
もちろん、それでも落ちる人は落ちますが。
残念なのはキャラが伝わってない人です。どんな人かわからないから採りようもない。
つまりこのような人は評価のステージに上がれていないのです。
キャラを伝えて「君がどんな人かはよくわかった!でもうちの会社には合わないからやめておいた方がいいよ」となった方が私はまだ納得できます。みなさんはどうでしょうか?
自分らしさを持つこと、それを自信をもって伝えること、その大切さを痛感したわけです。
自分を大切にするということ
「出る杭は打たれる」と言う言葉がある通り、自分らしさを持つと、それなりの不便は出てきます。
ですが、それを恐れて「あくまで普通であること」に意識が向くと、上の話のように「なんだかよくわからない人だな」と思われる。
就職はもちろん、友人だって、恋人だってできにくいのではないでしょうか。結果、浮いてきて普通ですらなくなる。なんて残念な。。。
自分を大切にするならばこそ!自分らしさを持つべきです!
覚悟を決めるということ
世の中は「普通」に溢れています。それ自体は悪いことではないですが、SNS等情報が飛び交いすぎてやや過剰になってる気がしています。
そのような世の中で我を出すことは非常に勇気がいりますし、不利益もあると思います。
私の場合は少林寺拳法・金剛禅を貫徹するということを決めました。仕事も多少なりとも犠牲になってるでしょうし、家族にも負荷をかけているかもしれません(ごめんね)
それでもやると決めたらやるのです。
「いや、でも〇〇だからできないよ」なんて言い訳を探し出したら、その〇〇がなくなる日なんてないんです。
若い時は「お金」がない?社会人になると「時間」がない?
そのまま行けば老後を迎えて「体力」がないしそのうち「余生」もなくなります。
私はこれこそ寂しい人生だなと思います。
おあつらえむきに全ての条件が整うなんてこと、ないはずです。
終わりに
あなたが何に対して覚悟を決めるかはもちろんあなたの自由です。
あなたの自由だからこそあなたらしさが出るわけです。
みんなが各自の自分らしさを持ち、他の人の自分らしさを大切にするような場って素敵ですよね。
まずは身近に足元から。私はうちの道院からそのような場を作っていきます。
自分らしさを持てば、敵も必ず増えますが、仲間も必ず増えます!
みなさん、覚悟を決めて自分らしさを出していきましょう!^ ^
写真は、私が道院長になった時に祝いに駆けつけてくれた仲間たちです。覚悟を決めて道院を出して良かったと確認した瞬間です。懐かしいですね😊

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