1990年代初め、亡父が所属していたロータリークラブで、ブラジル旅行の話が出た。
早速旅行計画をたてる為、ブラジルの旅行会社の日本法人を紹介した。
この会社は、当時インフレが激しかったブラジル通貨の公定と闇レートを利用してプランを建てるので、ビジネスクラス、一流ホテルを使っても、20日間の旅行が60万円位で上がった。
旅行メンバーに友人が多かったので、私の母親、長女も参加することになった。
計画はリオデジャネイロから始まって、イグアスの滝を巡り、その後アマゾンへ飛び、アマゾン川では中型観光船をチャーター、クルーズを楽しみ、ワニ狩り、ピラニア釣りして船中泊。
アマゾンから次はベロオリゾンテへ直行、ユネスコ国際歴史都市オーロプレイを観光、昔の金鉱の坑道、原石の豊富な地質博物館を見学、一日おいてカポエラーナエメラルド鉱山訪問。続いてサンパウロに行き観光ショッピングで帰国という、かなりハードなものだった。
エメラルド鉱山では、ガリンペイロが持ってきたエメラルド原石を買ったり、アマゾン川ではメンバーの一人が、サバイバルナイフでワニをさばいて料理したり、ご婦人方は宝石を買ったり、みんなそれぞれ夢にしていた事がかなったようだ。
最後のサンパウロのショッピングセンターでは、みんな思い思いのものを買いご満悦だった。
ショッピングセンターには多くの店舗に混ざって骨董店が入居し、人気の商品、ガレ、ラリックなどの品物を多数販売していた。
旅行メンバーのご夫婦がガレの花瓶などを購入、店側はインフレが激しいのでクレジットカードでなく現金払いを求めた。
そこでお二人は僕に相談に来た。
買い物はドルで3000ドル少々の金額、ブラジル通貨で25000クルゼイロ位だった。
僕はお金を用意するので、翌々日集金に来るように伝えた。
翌日は全てのスケジュールをこなして全員帰国した。
勿論私の母、長女も帰国していった。
で、その晩誰も居なくなった家で冷蔵庫を開けた僕は、母が僕を思って作っていってくれた色々な料理を目にすることになり、ひとり泣きした。
いつも寂しいとかホームシックとは無縁の僕で、泣くことも無かった。
でもこの日は本当に家族の大切さや情愛を感じて本当に泣いた。
長いこと離れていた事も悔やまれた。
その優しかった母も既に他界してしまった。
翌日工場に出社すると大きなニュースが飛び込んできた。
新しく大統領になったコロール大統領が預金封鎖を決行したと言うのだ。
預金封鎖のため個人はお金を引き出せなくなり、それによって為替レートが闇ドルも1ドル30クルゼイロ位に変わってしまった。通貨クルゼイロはこれによって安定する事になる。
そこで問題発生。
骨董店の25000クルゼイロの約束は、ドルにすると倍以上の7000ドルになってしまった。
敢え無く2倍以上のドルで支払いする羽目に。
当時インフレの激しかったブラジルでは、誰も現地通貨を持たずドルを持っていた。
建て替えたのだから、日本で建て替え代金を頂く時にこのご夫妻に話してとも思った。
でもインフレを知らない人に話しても、多分理解不能だと思って諦めた。