晶(しょう)です!
今日は愛について
書きたいと思います。
永遠のテーマでもある 愛。
私の中でも永遠のテーマであり
追求し続けたい。
私は、結婚離婚を繰り返して
そして失恋しました。
そこに至るまでは駆け落ち
妹の死、母との確執、父との別れ
様々な経験がありますが、
そこにはいつも
満たされぬ愛
があったと
ようやく最近自分と
向き合うようになって
気が付いた。
自分が愛して、相手から愛されれば
愛し合うことができる。
揺るぎない自分の考えが
10代の頃からあった。
でも現実はどれだけ愛されても
どれだけ相手が
愛情を注いでくれても
自分が満たされることがなかった。
そんな自分に嫌気がさして
問題行動を起こしては
自己嫌悪に陥り、
自暴自棄になる。
その繰り返しの人生。
自分と向き合うことで
人は、どれだけ愛されても
自分自身を愛されなければ
愛し合うことは難しい。
私はやっとスタートラインに
立てたんだ。
多くの人は愛し、愛されることで
愛が芽生え、互いに愛し合うことが
出来るのだと思う。
それが健全であり、
一つの形なのだと思う。
ただ、幼少期や成長期に
多く傷ついてしまったり
母と子の関係がよくなかったり
インナーチャイルド問題や
課題があると、愛し合うことが
とても難しくなってしまう。
自分で自分を愛していないから。
傷ついた心、魂、
インナーチャイルドは、
他人に癒されるものではなく
自分で癒していくしかない。
これに気付くか、気付けないかで
人生は大きく大きく左右される。
自分で自分を愛す。
自分で自分を受け入れる。
そして自分で自分をゆるす。
これができれば
愛されることで、愛し合うこともできる。
愛することで、愛される。
自分の育ってきた環境や
他人のせいにしているようでは
本当の愛は掴めない。
私の44年間でやっと氣づいた
結論、答え。
考えてみるととっても
答えはシンプル。
そのシンプルが一番難しい。
自分の命、存在はとても尊い。
自分の人生の中で
一番長く一緒にいるのは
死ぬ瞬間までそばにいるのは
誰でもない自分自身。
その自分を愛してあげないで
誰を心から愛することができるの?
自分を犠牲にしてまで
愛を語るのは
極論、愛ではないということ。
人生の主役は
自分。私。
私が幸せになれば
周りも幸せになっていく。
私が愛に包まれたら
周りも愛に包まれていく。
自分を愛するって?
自分でいいんだよって
受け入れること。
自分を大事にするって?
どんな自分も認めてあげること。
否定すると、私が悲しんじゃうから。
肯定してあげて。
愛してくれて
気づかせてくれて
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。