
奇しくも20年前、2005年4月21日に私が綴ったブログ記事のちょうど20年後の同日、2025年4月21日、ローマ教皇フランシスコが88歳で帰天された。世界中のカトリック信者を導いてきた慈愛に満ちた指導者の訃報に、多くの人々が深い悲しみに包まれている。そして今、バチカンでは新たな教皇を選出するコンクラーベの準備が進められているという。
つい数週間前、エドワード・バーガーの映画『教皇選挙』(原題:Conclave)を公開直後に鑑賞し、その完成度の高さに心を打たれた。見事な脚本構成と演出、そして教皇選出という神秘的かつ厳粛な儀式の描写に魅了された。あの時は単なる映画体験として消化していたが、これほど早く現実のコンクラーベの日が訪れるとは予想だにしなかった。
コンクラーベとは何か
コンクラーベとは何か
「コンクラーベ」(Conclave)とはラテン語の「cum clave(鍵をかけて)」に由来する言葉で、新しいローマ教皇を選出するための枢機卿たちの会議を指す。歴史的には、教皇選出の長期化を防ぐため、枢機卿たちを文字通り「鍵をかけて」閉じ込め、新教皇が選出されるまで外部との接触を断つという厳格な制度として発展してきた。
現代のコンクラーベでは、80歳未満の枢機卿のみが投票権を持ち、システィーナ礼拝堂に集まって秘密投票を行う。白い煙(「フマータ・ビアンカ」)が煙突から上がれば新教皇の選出を、黒い煙(「フマータ・ネラ」)であれば選出に至らなかったことを知らせる古式ゆかしい伝統が今も続いている。
神秘に包まれた儀式
コンクラーベの魅力は、その密室性と厳格な儀式にある。外界から完全に遮断された世界で、枢機卿たちは教会の未来を託す最高指導者を選ぶという重責を担う。これは単なる「選挙」ではなく、聖霊の導きを受けて神の意志を見いだす宗教的行為でもある。
システィーナ礼拝堂の天井にはミケランジェロの「天地創造」が広がり、祭壇の壁には「最後の審判」が描かれている。この荘厳な空間で、歴史と伝統、そして未来への責任を背負った枢機卿たちが一票を投じる瞬間には、言葉にできない緊張と神聖さがあるだろう。
かつてヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)は、コンクラーベについて「我々は聖霊の導きのもとに選出を行うが、聖霊は候補者名を我々に囁きかけるわけではない」と語った。人間の判断と神の意志が交錯する、この世とあの世の境界線に立つような経験なのかもしれない。
映画と現実の狭間で
先日鑑賞した『教皇選挙』では、コンクラーベという儀式の緊張感や神秘性が見事に描かれていた。映画の中では、進歩派と保守派の対立、個人的な野心と聖職への忠誠の葛藤など、人間ドラマとしての側面が強調されていた。
しかし現実のコンクラーベはさらに複雑で、歴史的・政治的・神学的要素が絡み合う重層的な出来事だろう。そこには、世界のカトリック信者の地理的分布の変化、社会問題に対する教会の立場、そして何より「教会が今後どの方向に進むべきか」という根本的な問いが枢機卿たちの心の中で渦巻いているはずだ。
教皇フランシスコの遺産
故フランシスコ教皇は2013年に就任して以来、カトリック教会に新たな風を吹き込んだ。南米出身の初の教皇として、貧困問題への取り組み、環境保護の訴え(回勅「ラウダート・シ」)、そして「慈悲の特別聖年」の宣言など、従来の教会のイメージを大きく変えた。
彼の「誰が私を裁くことができようか」というLGBTQの人々に関する発言は、教義そのものを変更したわけではないにせよ、カトリック教会の姿勢に新たな視点をもたらした。また、バチカン銀行の透明性向上や教皇庁の組織再編など、内部改革にも取り組んできた。
フランシスコ教皇は「周辺に出向く教会」を提唱し、教会が社会の中心ではなく周縁部にいる人々にも手を差し伸べる姿勢を示してきた。彼のこの姿勢は、次の教皇選出においても重要な論点となるだろう。
新たな教皇への期待と不安
現代は、カトリック教会にとって転換期にある。欧米での信者数の変化と南半球での増加、過去の問題への対応、女性の役割についての議論、シノダリティ(共同体性)の実践など、多くの課題が山積している。
次期教皇は、この複雑な状況をどう舵取りしていくのか。フランシスコ教皇の路線を継承する人物が選ばれるのか、それとも異なるアプローチを取る人物が選出されるのか。世界中が注目している。
コンクラーベの伝統と現代
歴史を振り返れば、教皇選出は常に予測困難な出来事である。「教皇として入った者は、枢機卿として出てくる」(Papa入ってCardinal出る)という古い格言があるように、有力候補と目されていた人物が必ずしも選出されるわけではない。
コンクラーベは中世から続く伝統的儀式でありながら、現代的な課題と向き合う場でもある。デジタル時代における宗教の役割、グローバル化する世界での教会のあり方、多様な文化や価値観との共存など、次期教皇が取り組むべき課題は多岐にわたる。
待ち望む白い煙
コンクラーベが始まれば、世界中の目がシスティーナ礼拝堂の煙突に注がれる。黒い煙が上がるたびに期待と緊張が高まり、ついに白い煙が舞い上がった瞬間、聖ペトロ広場に集まった群衆から大きな歓声が上がるだろう。
そして新たに選ばれた教皇がバルコニーに姿を現し、「ウルビ・エト・オルビ」(ローマの市と全世界に)の祝福を与える瞬間、カトリック教会の新たな章が始まる。
映画を超える現実
映画『教皇選挙』を通して垣間見た神秘的な世界が、今まさに現実となって目の前で展開されようとしている。映画は上映時間が終われば終わるが、実際の教皇の在位は数年、時には数十年に及び、その影響は世界中に広がる。
映画の中の登場人物たちは脚本に沿って動いていたが、現実の枢機卿たちは自らの信仰と良心、そして2000年に及ぶ教会の歴史と世界中のカトリック信者の未来を背負って決断を下す。その重みは計り知れない。
私は先日、一観客として映画を楽しんだ。そして今、私たちは歴史の一場面を目撃する立場にある。コンクラーベという古の儀式が、現代の文脈で新たな意味を持って展開されようとしている。
かつて映画で感じた感動が、今、より深い現実感と共に蘇ってくる。映画を超える現実のドラマが、バチカンの壁の中で静かに、しかし確実に進行しているのだ。
「ハベムス・パパム」(我らに教皇あり)—— その宣言が響く日を、世界は静かに、しかし熱い思いで待ち望んでいる。