前のブログでも書いたように、
僕の恩師は物凄いことを成し遂げてしまった。




結論から話すと、


 ※海南FC創立50年にして
 ジュニアユース部門初の和歌山県大会優勝
 関西大会出場※


を果たしたのだ。







これは本当に凄いことである。



和歌山県内には
プロリーグ、J1に所属している、C大阪の下部組織
C大阪ジュニアユースや
他にも地力がそもそも違うチームが存在する。


そんな中で50年間の均衡を遂に破ったのだ。






その大切な決勝戦の前に、この恩師の家を訪れたのだが、




『えいようちゃんの代で
 このチームは変わってきたんや。
 今年で僕が関西大会目指し始めて6年目。
 ジュニアユースのコーチに就任して6年目。
 今の代で和歌山優勝出来なければ、
 僕は監督を辞める。それくらいの覚悟や。』




と、僕に語ってくれた。




並々ならぬ熱量と、
俺たちはこれだけ積み重ねた。



言葉では言わなかったが、
凄く大きな自信を雰囲気から感じ取れた。




この代が中1の時に僕は一度試合や練習を
見に行ったことがある。
その時は申し訳ないが関西大会どころか、
和歌山でベスト8に入れれば良いかなぁ
くらいの力だったし、そのくらいのサッカーだった。



しかしそこから努力を重ねた選手たち、



何より牧原はじめが熱く熱く指導した事。




そして、和歌山優勝。






継続は力なりとはまさにこの事だ。。


6年間もよく監督、コーチを続けたと思うし、




僕の恩師はやっぱり誰よりも、
いつもサッカーの事を考えていたし、
教え子の事を考えていた。。







このアイフォンケースは
はじめくんの物。自分が教えてきた代の
引退試合後の写真を
全部プリントしたアイフォンケース。笑




こんな事をするコーチは僕自身見たことが無い。。笑






話が少しずれたけど、




この優勝報告を受けた時、
僕は現場にいなかったのに、
この代との関わりは、はじめくんだけなのに、
自分の事のように号泣してしまった。


心の底から嬉しかったし、
僕の大好きな人、恩師の
6年間の努力が報われた瞬間。。


僕ははじめくんがどれだけ
チームの為に動いていたか知っている。





鳥肌が立たないわけないし、
涙を我慢できるわけがなかった。





6年前に僕達の前で、

『僕はいつか、和歌山で優勝し、
 関西大会に連れて行く。』



その時は、また大きな事言ってるよこの人は。笑
と軽く流していたが、




6年の年月を経て、
彼は実際に成し遂げた。






牧原はじめは、
文字通り、歴史を変えたのだ。






本当におめでとうございます。
この言葉しか今は送れない。。
最後は僕達の代の引退試合の写真で締め括ろう。笑




真ん中の跳ねてる男が僕の恩師。




この写真みんな幸せそう。笑