今回のブログは〜
モデルの僕でもないし、サッカー選手でもない、
もう、ただのサッカーファンの僕が
少し書こうと思う。





あらすじから少し、、
中学生の時、僕は海南FCという
和歌山県の地域のクラブチームに所属していた。
このチームは大して強くないのに、
当時は怠慢と妥協にまみれたチームだった。



監督には反発するし〜、言われたことはやらない。
大人が嫌いで、でもサッカーは大好き。
そんな中学生の集まり。。



しかし、そんな僕たちを変える事になる
人との出会いが待っていた。





それは恩師との出会い。



この人は僕が中3の夏頃にジュニアユースのコーチとして就任してきた。



僕たちのチームは和歌山県の中じゃ、
いつ敵チームと喧嘩するかわからない、危ないチーム
といった認識で通っていたし、


やはり、中学生なので尖りまくってた、笑
大人にはものすごい敵対意識を持ってたね〜。笑




他のコーチや、監督からも
ものすごく扱いにくいと思われていたのも事実だと思うし、多少諦められていたと思う。



しかし、この牧原はじめという男は



唯一僕たちと対等に接してくれたのだ。



僕たちからすればそれは初めての感覚で、
それまでやらせれていたサッカー
だったのに、はじめくんがきてからは、



自然と自分達でもっとこの人から学びたいと思うようになっていた。



そしてなにより、選手のモチベーションを上げるのがうまい。
まんまと言いくるめられた僕たち。(笑)
はじめ君は、僕たちを何事も自分から進んでする集団へと
変えてくれていた。




そして、はじめ君が就任してから
数ヶ月後の夏のアジアカップ。
なんと僕たちが日本代表の所属しているチームと
互角の戦い、引き分けまで持っていくことができてしまった。試合内容も五分五分の互角の試合をすることが出来た。



井の中の蛙だった僕たちの事を
はじめ君が指導する事によって一体感が増し、
その結果、何事も真面目に取り組める集団に変化させた事により、
全国トップのチームと渡り合える
レベルまで押し上げた。



それが牧原はじめという男。




そして、中学 3年の冬、
僕はある相談をはじめ君にしに行く事になる。



香川西でサッカーがしたい。




これを伝えたのだ。
最初はバカにされるだろうな。と
少し思っていた。
なぜなら、海南FCのジュニアユースからは
基本県外の強豪校などに行く事はなく、
県内のそこそこのチームに入るのが王道ルート。



だから、全く強豪校とのパイプなどは無いのだ。




しかし、



えいようちゃんなら絶対いける。
僕がなんとかするよ。




といって、香川西への練習会参加を、
頭下げてまで、頼み込んでくれたのだ。
普通中3の冬に練習会を開いてくれるところは
そうそう無い。




そこで僕は運良く特待生を取ることができ、
晴れて香川西の一員となることが出来た。



その報告をした時、
泣いて喜んでくれたのもこの人だった。


そして、


えいようちゃんはいつも
練習後や、試合後、遠征の時もそう、
練習は手を抜かず誰よりもしてたし、
スパイクの手入れやグローブの手入れ
ちゃんとしてたもんなぁ。



そんな細かいところまで見てくれてたんだ、、
と正直びっくりした。



なぜ、当時誰とも馴染めなかった僕たちが
こんなにはじめ君とは馴染むことが出来たのか。




今なら少しわかる。。




この人は僕たちが子供だから。とか
才能がある。ない。とか関係なく




誰の事もバカにしない。






そいつが本気で夢と向き合ってるとわかれば、
バカにせず、夢と向き合うそいつを本気で応援する。





そして本気でサポートするし、

誰よりも親身になって考えてくれた。
自分のことのように。





まさに対等。



だけど、誰からもリスペクトされるコーチであった。




それが僕の人生を冗談抜きで変えた恩師との出会い。




そんな恩師が物凄いことを成し遂げた!
そんな話を次のブログで書きたいと思う。