ホーチミンで骨折し、早2週間。
交差点で松葉づえを振りかざすと、バイクの海に道が割れます。
モーセってこんな気分だったんだろうな。しょむです。
いやはや、無事ベトナムで骨折デビューを果たしギプス生活を送っているのですが、やはり歩きづらい。
人ってできないことができて初めて当たり前のありがたさを
知るのだなあと。この年にしてばあちゃんの気持ちがわかります。
元気にしてるかなあ。
さて、日々僕はホーチミンの街を、折った足をかえりみず
容赦なく練り歩いているのですが(なかば鍛錬だと思ってます)、
やはり、足を折ってみるといろんな世界が見えてくるもんですね。
ただ留学生活をだらだら続けるよりは、よっぽどいい刺激に
なりました。そこで、今回から
「留学中、足を折ってみてよかったシリーズ」
としていくつか記事を書いていこうと思います。
どうせ転んでしまったのだから、
ただでは起き上がるのはもったいない。という負け惜しみの
記事ですね(笑)
留学中の骨折に自分なりに価値を見出してみよう という
検証日誌だと思ってください。
ではさっそく、いってみましょう。
[第一回:骨折と言語交換
~やっぱ、ホーチミンの人って、やさしいね~]
さて今回は、「語学留学生」としての立場で書き綴ります。
骨折をしたことにより、何を再認識し、さらには僕の語学の
勉強方法がどのように変化したのか。
本題に入る前に、少々僕の語学留学の
考え方を綴ります。
つまらないと思ったら、骨を折ったところまで読み飛ばして
ください、分かりやすく赤字にしときます笑。
ホーチミンで生活をしていると語学を学びに来た
学生や社会人の方を多く見かけます。
かくいう僕もその一人なのですが、
初学の方が多い中、僕は日本の大学で3年間ベトナム語学科で
学んできたというかなりイレギュラー(変人)な形で留学を
しております。
そういうこともあってか、僕の中で一つおおきな問題がありました。それは、「語学が目的化してしまっていること」。
本来、語学ってツールでしかありません。
ベトナム語を使って何かをする、たとえば
スポーツや音楽を通して友達と交流する・アルバイトをする・
友達と酒を飲み交わす・ナンパする...... などなど。
机上の勉強ももちろん必要ですが、語学学生は
教科書を放り投げて外へ飛び出してなんぼなのだと。
(少なからず僕の目指す語学学生の理想像はこんなかんじです)
そんな中、ベトナム語を勉強することが癖になってしまっている
僕にとって、
「学校に行きベトナム語を勉強すること」
「ベトナム語を上手に使えるようになること」がこの留学の
目的になってしまっていないか・・・・??
と頭を悩ますことがありました。
とそんななかである悲劇(好機)が。
ビール ぐびっ
階段 足 つるーーん
うぇーーい
はい。わかりやすかったですかね。
ここからが本題です。
足を折って何を学んだか。それは
「人との表面上だけの言語交換でなく、
相手の人間性をみる言語交換を意識できたこと」
具体的な事例をあげましょう。
ここでいう「表面上の言語交換」とは、僕の考えでは
「目的を達成するための手段」である語学を指します。
たとえば
・これはいくらですか?(物を買うため)
・お会計おねがいします!(おかねを払うため)
・もし僕の部屋に○○があればなあ~。(大家に物をせびるため)
さて、足を折ってどうなったか。
とにかくとにかく じろじろじろじろじろじろじろじろ・・・・・
ベトナム人見てくるんですよ!!!女性が露出のある服を着ると
こう視線を感じるんでしょうね。反面教師。
初めは「なんか足折ってごめんなさい・・・」みたいな気持ちで
伏し目がちに歩いてたんですが、なんかめんどくさくなって
普通に歩くようにしたんですよ。前向いて。
そして近所のおじちゃんおばちゃんたちと目が合うようになって、
するとどうでしょう。
「なに、どうしちゃったのよ!あんた!」
「おまえ あそこに住んでる日本人か」
「これ何週間で治るの?痛いの?」
「馬鹿だな、どうせバイクにひかれたんでしょ。」
「よぉ あんちゃん!おれのバイクのってけよ!(商売面)」
みたいな感じで話しかけてくるんですよね笑 初対面で。
行きつけの店なんかではもう質問攻め。今までは
「これください」とか「お会計」とかしか話したことなかったのに。
ホーチミンの人はみんな大阪のおばちゃんみたいにオープンな
性格であるとは常日頃思っていたのですが、まさかここまで
初対面のどこの人間かもわからんやつに声をかけるとは。
これらの数秒の言語交換を通して感じたのは、
「相手の人間性をみる」「相手を知ること」が語学の
真髄であり、第一歩である ことです。
本当に当たり前のことなのですけどね(笑)
おおもとの再認識ってかんじですかね。
「一見すると意味もないような会話」
「必ずしも必要でない言葉」の一つ一つに、
相手の人間性がにじみ出ていると。
それを自分が理解できるよう解釈するためのツールが語学であると。
そこから発展して僕の勉強の仕方にも変化が表れました。それは
むやみやたらに単語や表現を暗記するのではなく、
似たような言い回しの表現を場面や心情によってどのように
つかいわけるのかという語法の勉強を重視するように
意識が変化していったことです。
これらも、「なぜここでその言葉を使うのか」という相手の人間性を
みるための素朴な疑問からです。
はい、以上です。
骨を折ってからなにを感じたのか。まとめると
◎「表面上」以上の言語交換を再認識するようになったこと
◎勉強するにあたって「語法」の捉え方が変化したこと
◎ホーチミンのじじばばのやさしみ
の3点ですね。
若干自分への言い聞かせのために、だらだらと自己満ちっくな
内容になってしまいました。次回以降はもうすこし実用的な
情報をお届けしようかと思います。
やっぱりホーチミンはすてきですね~~。
しょむ