30代目当主・大内義興(よしおき)
義興は長い戦国時代にの中で安定を築いた稀なる武将である。
明応九年(1500年)、京から追われた将軍・足利義稙を歓待し、大群を率いて上京!
永世4年(1507年)、将軍を見事返り咲かせた!
これにより、義興は将軍に仕える管領代に任ぜられ、事実上幕府の実権を握る。
これから11年間京に滞在し、大内氏の存在を誇示。この間、大内氏の武力と財力で京都の治安は安定し、応仁の乱後はじめて京都に平和の空気が蘇ったと言われる。
そして山口へ戻った義興は、
伊勢神宮の御分霊を勧請!
山口大神宮の建設に乗りかかる
天皇から勅許を賜り、伊勢皇太神宮から直接御分霊を受けるのは、明治になるまでは日本国中では実にこの山口大神宮だけであったという。義興の力がいかに大きかったをものがたっている。
この30代義興の繁栄は、
31代当主・義隆(よしたか)の悲劇へと
運命を変えて行くのであった。
ブログバックナンバー
大内弘世【山口のまちづくり①】
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