やっと、ここに自分が向き合える時が来たのかなと、思う。

 

昨日、生まれる前を追ったドキュメンタリーを見たからかもしれない。

結局、大人になるまでの過程で、生まれて選ぶところからもう私は愛されて生まれてきたんだと、なんだか涙があふれてきて。

 

映画を見て思い出した記憶がある。

それは、私は母親を守るために生きてきたのだと言うこと。それを小さいころ母に伝えたこと。

今は亡き祖父に、母を守ってやってなと言われたこと。

それを胸に大事に持っていたこと。

 

それに、私はとても愛されて甘やかされて育ってきたのだと思う。だからこそ、今も世間知らずすぎて、守ってきてくれたから自分で自分の身を守る術を今さら、学んでいる。

 

世間から見て、驚かれる部類に入る家族だ。

今は訳あって離れる選択肢をとったが本当は苦渋の決断で、泣きながら荷造りをしたこと。

 

結局、私がしっかりしなければ、いけないところを補ってもらっていたから。

今は必死に自分を育成しているところだ。

 

そして、去年6月から自分で立って生活をしてみている。別に自活自体はできるのだ。ただ、精神的に未熟だなと思う点は本当に多いし、人との距離感で失敗することもたくさんある。

 

孝行をしたいならまずは自分で立つこと。

自分の身を守れるようにならなければ、結局は誰かに迷惑をかけてしまう。持ちつもたれつならいいが、やはりこれは依存関係になるとどこかで破綻するらしい。

 

依存をしない、依存させない。

自分の存在を大切にする。

 

曖昧な言葉だ。人によって本当に解釈が違う。

その人それぞれの持っている特性や生まれ持った気質によってとらえ違いをする。

 

だから、昔かみさまは言葉を人間が扱い始めたときに嘆いたのだと思う。

より分離することになるからなのだと思う、言葉にしないと進まないが言葉にしても伝わるとは限らない。

 

強制した教育は、絶対に続かない。

自発的に気づく環境を作らないといけないのだと思う。

 

話があちこち飛んだが、私は私を生んでくれた母も父もどうしようもなくても好きなのだ。

大好きで仕方がない。

これは、子どもはみんなそう思っているんじゃないかなと思う。

違うのかな?

憎んだりしても、肉親を真に嫌いになることは自分を嫌いになることなのだから。

 

 

久々に、自分の心が追いついたみたいですこぶる調子がいいので、残しておきます。

 

去年6月~上京し、毎朝通勤が電車になり。環境が劇的に変化しました。

車で通勤していたのが、贅沢なことだったんだなと痛感。

身一つで、移動をしながら仕事を回すことが精いっぱいでいつしか夢が見れなくなっていました。

 

段々としおれていく感じ。

心を前向きに、と思いつつ後ろ向きに進んでいるような感覚が非常に怖い。

常に焦りが心に潜んでいるそんな感じで。

自分の言語化をどうしても後回しにしていたがしかし、本来私は言葉で共感を生むことが好きだし、そのことをすることで活力が生まれていたと思う。

徒然にひたすら文字を打ち込むことが、私にとっては意味のあることだったのだなと今では思う。

 

 

 

ここ最近はひたすら修行なのか何なのか、本当にしんどかったのでした。

 

思えば昔から、緊張→警戒モードがすごく、不安が大きい子どもでした。

大人になってもそれは焦りとなり、やらかすことが非常に多かったなと思います。最近もやらかしていますが、日に日に安全圏で今は居れることを思い出しては、立て直し掛かっている今のこの現状が、本当に幸せだと思っています。

 

今までは、三途の川の石を積んでいる水子のように、積んでは崩され。。というような思いになることが大きく、それを引き寄せがちになっていたのかと。

 

現在、協働の事業構築の話が非常に多く、自主事業として法人がやることが変わってきています。

代表曰く、今までは求められるものをひたすら展開してきて、去年からは自主事業、ノウハウを後の世代に伝えるため講座を構築しています。

 

私自身の熱量を上げたい、もっと楽しく、面白く展開をしていくことができるはずだから。

今一度呼び起こそう。

自分の中の龍を、味方につけることが今の課題かなと思います。

 

 

10年前の私に告ぐ。

 

19歳の私へ。

 

29歳の私から、今の景色をお伝えします。

 

私は今年、幼いころの呪縛から離れて一人暮らしを始めました。

次の世代の子どもたちに向けて、やれることを今、やりたいとそれができる環境に巡り合いました。

 

だけど、機会があっても、爪を研いでいなければ思考の癖は元に戻ろうとしてしまいます。

 

夢にまで見た、環境だとしても。

習慣とは恐ろしいものだなとつくづく感じます。

 

だから、計画がいやでも計画することは悪ではなくあなたの基準をつくるために必要だということを覚えていてほしいです。

 

あなたの人生はあなたしか操縦できません。

他人に操縦席を譲る癖がありますが、今年はことごとくそれで痛い目を見ます。

見かけます。

 

そして、問題を見つけることが癖になっていて、問題を見つける→落ち込むの癖が抜けません。

 

これは、自衛のためだとは言え長年の蓄積で習慣になっているだけなのですぐ捨てましょう。

 

あなたの足かせは本当は自分で作っているだけでした。

 

ようやく、自己啓発で学んだことが身に染みて分かってきた歳です。

 

 

10年前の私は不安で仕方ありませんでした、でも。

どうにか生きています。

だから、自分をあきらめないでほしい。自分の意見を大事にしてほしい、あなたのアイデアを大切に聞いてほしい。

 

あなたのこえはあなたにしか聞けないから。

 

どうも

愛され修行で10年目のしょこたです。

 

19歳の時からの自己啓発グループの大人の方たちに育てていただきはや10年。

当時の私から何かが変わったのかと言われるとどうにも大人になったとは言いきれない。まだ幼気ながきんちょです。

 

大人と子どもの違いで一番に思いつくのは自立しているのかいないのか。だと思いますがいくら生活が自立していようとどんなに高学歴だろうと人と人は助け合って生きているので、自立ってなんやねん。って思います。

 

辞書には

自立

自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやって行くこと。

 

って書いていますが、いくら自立していようと大人とは言えないんだよなと。

29歳の私は未だに自問自答中です。

 

6月から徳島を離れて東京で、職種も今まで現場の外での作業からインテリな事務局に変更していますが

 

この前、自己啓発の人とのやり取りで「夢」を抱けなくなっている自分に気づきました。

今ここの時点で、私はやるべきことに追われて日々計算して生きることにとらわれていました。

 

今回、そこを見直す話を改めてされまして。

枠って、皆作りがちだとおもうんですよね。

企画をするときはこの枠組みがないと物事が進んでいかないのでコンセプトと目的を作ってしまうのですが私は人生に対して現状の枠をすごく作ってしまっていたなとこの数日思っているところです。

 

枠があるのは確かに楽で、その通りに動けばいいのですがその枠って、誰が作ったものなんだろうって思ったら自分じゃないだれかのものを自分で枠として使っていたのだと。

 

なんだか目からうろこでした。

そりゃあ、苦しくなるよね。しんどくなるよね。

スピードが速いこの東京で、誰かが決めた枠に沿って生きるのだとしたらそれは駒にしかならないなと。

 

だから、小さいころから感じていた違和感として、私はこの枠が大嫌いだったはずなのに。癖って怖いもので、自分から入っていっていたという。

習慣って恐ろしい。。。!!

 

私はこれから半年でこの枠を自分で1からデザインして生きていこうと決めました。

 

私の夢は、「自ら真の深いところから表現をしてそれを皆に伝わるように企画し、表現し、見た人経験した人が自分を好きになる」そんな場所を運営することです。

 

人生、今、節目にいるのだなと思います。

色々とありますがたくましく生きていきたいと思う今日この頃。

 

お互い元気でやっていきましょうね。それでは。

 

 

 

 

 

時がたつのが日に日に速くなっている気がしてならない。

それは、代謝が落ちてきたからなのか。
地軸が少しズレたからなのか。
…まぁ、それはさておき。

昨日からどうも止まらない「バカ食い」。
買い置きしてあった食パンもあっという間にたいらげてしまうという有様。

フードファイターにでもなるんかい、と突っ込みたくなる食べっぷりである。

 

今年30にして、地方から東京に引っ越してきた。
空気も文化も足元の安心もガラッと変わって、
無意識に抱えているものもあるのかもしれない。

 

実際、日々少しお疲れ気味。
お財布とにらめっこして「どうすれば安心して暮らせる?」と思案しても、
頭が整理してくれてはいない。
レシートの数だけ溜まっていく溜息。

 

仕事は少し自由になった。
だからこそ、自分ですべて動かなければならないというプレッシャーもある。
必死に、自分という船の舵を取っている最中なのかもしれない。

「何してるんだろう、自分?」という気もしてくる。
だけど、今、この瞬間に向き合うべき課題をこなし続けるしかない。

 

さて、ここからが大事。

近頃、自戒しておきたいと思うのは、
「人はすぐに大事なものを忘れてしまう生き物」であるということ。
情報の嵐に晒された日常の中、
大事にすべきものもあっという間に流れていってしまう。

だからこそ、空白の時間も必要なのに、
情報に慣れてしまうと怖く感じ、避けたくなる。
ダラダラスマホを見るという行動も、自分の空虚から逃げたいだけなのかもしれない。
大事なものを守ろうという気持ちも裏にあるというのに。

外にばかり視線を向けるということは、自分の内にあるものから目を逸らしているということなのか。

 

 

 

逃げ続けるうちに、大事にすべきものもぼんやりしていく。
人生の軸は、自分自身で築くもの。
世の中には、自分より秀でた人もユニークな人もたくさんいる。
そんな中、自分が誇るべきもの、自分自身に安心して帰ってこられるものはいったい何なのか。
真摯に問い続けたい。

あっけらかんを目指しすぎた弊害は大事なことさえもよく忘れてしまうということ。


だからこそ、問題に直面するたびに胸に刻み込みたい。
「もっと、自分自身の軸を作ろう」と。

こんな私も変われる日がくるのかな。
1人の時間が増えて、ますますスマホに視線を向ける日も増えてきた。
少しずつ、自分がどうありたいのか。
どう向かっていくべきなのか。
環境に流されたくない。
環境を、自分自身の手で創っていくという視点に変えていきたい。

がんばろう。
大丈夫。
必ず、オセロの端をひっくり返せるときがくる。