こんにちは(=⌒▽⌒=)
今日も暑いですね。
いいお天気の一日でした。
宿場町土山に残る古いものシリーズです。
今は幹線道路であれば案内標識とかでまっすぐ進むとどこに行くかとかがわかりますね。
では江戸時代に街道を徒歩で旅していた人はどうかというと、目印の一つとして道標(どうひょう、みちしるべともいいます)がありました。
こういうやつです。
ここは旧東海道が少しの区間、国道1号線と重なっているオートショップマエダさんのところです。
道標の後ろぎりぎりに建物が建っていましたが、国道に歩道を付ける工事の際に取り壊され、現在駐車場として利用されているところにぽつんと建ってますのでとっても目立ってますね。
この2つの道標の建造年代と書いてある文字と意味についてご説明しますね。
まず左側の道標ですが、天明8年(1788年)に建立され、「たかのよつぎかんおんみち」と書いています。
親切なことに左側面に漢字でも「高埜世継観音道」と書いてあります。
こっちの方向の永源寺にありがたいご利益のある世継観音さまがおられるので、ぜひお立ち寄り下さいとの願いを込めて建てられたみたいですね。
右側の道標は文化5年(1807年)に日野の豪商であった中井源左衛門によって建てられ、「右 北国たが街道 ひの 八まんみち」と書いてます。
右に行くと北国街道や多賀大社や日野や近江八幡に行きますよという意味です。
毎年天皇の御名代として勅使が伊勢神宮参拝のあと多賀大社に参られており、多くの伊勢神宮参拝者も同じように参ったそうです。
東海道と中山道は草津宿で合流しましたが、お多賀さんに行くには遠回りになるので皆さんこの道を通って行かれたみたいですね。
この道は御名代が参る道なので御代参街道(ごだいさんかいどう)といわれ、中山道の愛知川宿(えちがわしゅく)まで続くショートカットとして多くの方が通ったみたいですね。
現在は山を越える道が進めないので歩けませんが、昭和20年代とかまでは正月になると多くの方がこの道を歩いて土山の田村神社さんまで初詣に来られていたみたいですよ。
地域に残る古いものをご紹介させていただきました。
どうしても写真も文面もやっぱり地味になってしまいますけど、まだまだいっぱいご紹介していきますね(-^□^-)