こんにちは( ̄▽+ ̄*)
昨日からの雨も午前中に上がり、昼からは曇りがちですがわりといいお天気でしたね。
ちょっと1日を通して風が強かったです。
東海道の宿場町であった土山の歴史についてこれまでも何度かご紹介してまいりましたが、今回は皆さんもよくご存知の徳川家康との関係についてご紹介します。

教科書なんかでもおなじみですね。
(画像引用 徳川家康 Wikipedia:フリー百科事典)
慶長5年(1600年)春のことなので関ヶ原の合戦の前のことですね。
家康は会津の上杉家討伐のため、大阪を出て東海道を通っており石部宿に宿泊されたそうです。
当時豊臣秀吉の五奉行の一人であった長束正家が水口城主でした。
位置関係を説明するとこんな感じです。
大阪京方面 → → 石部宿 → 水口宿 → 土山宿 → → 江戸方面
長塚正家は徳川家康を水口の牛ヶ淵に新築した御殿に招待しました。
実はこの御殿には家康を殺害するための落とし穴の仕掛けが作られていたのです。
その増築に土山宿から召された孫市という大工がいました。
孫市は家康が御殿に招待されたことを知ると、その夜に逃げ出して土山宿に戻り、村役人にその陰謀を伝えたのでした。
村役人は石部宿の家康のもとに直ちに使者を石部宿の家康のもとに遣わし、それを知った家康は即座に石部宿を出発、水口宿に寄らず土山宿に立ち寄り朝食を食べ、関宿に向けて移動したそうです。
その後の徳川家康は皆さんご存知のとおり、関ヶ原の合戦に勝利し天下人となるんですね。
江戸幕府初代将軍の一命を救った土山宿は家康から「年貢納め勝手」という恩典が与えられたんです。
わかりやすくいうと年貢を納めなくてもいいということですね。
しかしながら当時の土山宿としてはそうはできないのでということで、年貢の軽減を願い出たそうです。
そのおかげで幕末まで他の宿場に比べて低い年貢高であったそうです。
ということで地域の歴史シリーズ「土山宿と徳川家康」でした。
東海道には家康のような歴史上の人物も通っていたんですね。
日本のおおきな歴史に地域が関わっているのはちょっと誇らしかったりしますね( ̄▽+ ̄*)