浦山ダム弁天様お参り その1
弁財天堂守建立の碑
浦山川下流のこの地に「雄釜・雌釜」と呼ばれた滝壺があった。
巨岩の岸壁に囲まれ樹木が鬱蒼と覆いかぶさり、
昼なお暗く、人が入ることのできない広いもので、
いやがうえにも神々しさを増し、
満々とたたえる淵は蒼く水しぶきにゆれ動き、
底知れない恐怖感さえ覚える神秘の地として、
人々は恐れていた。
雨季には大洪水となり、その濁流は家を呑み、
畜馬を流し、道を洗い、田畑を荒らした。
樹木に触れたり、伐つたりすると祟りがあると、
住民たちは恐れおののき
、
雄釜・雌釜のある地域を聖地と定め、
「弁天島」と称し、その神秘のちに祠を建て、
弁財天を祀り、水天宮として二百年余りの間信仰を深めてきたと言う。
時移り、平成の世になり、ダム建設工事が進み、巨岩も削り取られた。
その際、滝の底とみられるところから尺余なる一体の弁財天が掘りだされた。
立像の弁財天がここから発掘されたことは、
古くから弁財天の聖地として名付けられたという
「弁天島」の地名の由来をここに立証することができた。
これこそそこに地域に大きな光明を与えてくださる「守護神」として改めて
堂守を建立し、弁財天を祀り、後世に伝え残し、
浦山ダムの安全と地域の発展を祈願するものである。