脳と仮想 | 小人物改め中人物ブログ

脳と仮想

茂木健一郎が「クオリア、クオリア」言いすぎていてうるさい。
そう僕は思っていた。
(実際うるさいと思ってる人結構いると思うんだけど。)
脳と仮想を読んでいて、大した内容ではないなぁ、
などと思ってしまう部分も多々あり、
とはいっても保坂和志が書いていたように、
このような文章はその人の思考の流れであり、
結末に向けて気分も盛り上がってきて、
そしてやはり何かを得たという感触を得ることができる。

学生時代の旧友から急に電話がかかってきた。
僕は地方で働いているが、
友人らは東京に住んでる連中が多いので、
たまに集まっているらしく、
電話の向こうはガヤガヤ盛り上がっている。
そして電話をかけてきた理由もくだらねぇ。
のりで「あいつに電話で聞こう」となったらしい。
部屋でぐだぐだ本を読んでいた僕は、
おもしろい返しもせず、
電話のこっち側と向こう側で温度差が激しい…。

と、そんなことがあったんだが、
この経験をしながら、
僕は茂木健一郎がクオリアにこんなにも取り憑かれている理由が
ちょっとわかった気がした。
それは彼が、数字で表せない脳の質感であるクオリアを発見した
(概念自体は昔から知られていて、彼は電車の中でふと意味を理解し、再発見した)
という知的興奮によるだけではなく、
さらに、日々経験することをクオリアであると認識することで、
より物事に感動したり記憶にとどめたりできるということを知ったからなのではないだろうか。

プラトン的世界とは、ありうる仮想のすべてのことである。
我々は、クオリアによって、プラトン的世界を冒険し続けているのである。
旧友から急にかかってきた電話口で、
部屋でひとり、電話の向こう側との温度差を感じる僕は、
宝箱を開けたのである。