繁昌亭で爆笑間違いなしのコメディリリーフ的存在【桂三象】に、素敵な時間をありがとう❣️
私は、ネットの【繁昌亭見放題プラン】を契約していて、
繁昌亭の昼席をコツコツ見ている。
多種多彩な上方落語家が登場し、
🟣寄席の気分を、
わが家で見れるうれしいプランである❣️
色んな落語家が見れて、
たくさんの落語ネタが楽しめる。
🔴そんな中、
【桂三象さんの存在】が、
貴重で、輝いて見えてきた❗️
繁昌亭昼席で演じられる上方落語ネタは、
全て笑えるわけではなく、
芝居噺とか、人情噺、講談系の噺など、
語り物のネタが続くことがあり、
そんな間に、
【桂三象さん】が登場すれば、
理屈抜きに笑えて、
頭のモヤモヤが吹き飛んでしまうのだ。
🟡これを、【コメディリリーフ的存在】という❗️
【コメディリリーフ】とは、
喜劇の中で、軽めの楽しいことで笑わせ、
お客の観劇の緊張感をなごませ、
息抜きさせる滑稽な存在を言う❗️
三象さんの無条件に笑える話とは、
〜〜自分のダメな部分をさらけ出し、観客といっしょに、明るく笑いとばすのだ❗️
こんな感じで・・・・・
🟠桂三象【落語家になって、36年❗️
東京だったら、立派な真打ですよ。
でも私は、真打というより、頭打ち❗️
いま、スランプなんですよ。すいませんねーーー
いつ頃からかなと振り返ったら、
どーも、芸人になってからズーーッとスランプなんです。
これ、世間では【向いてない】❗️とゆーんですが、
私もけっこーな年齢になったので、今さら落語家をやめて、
また〈元のホストクラブ〉に戻っても、大変やから、
とゆーので、
このままでやっていこうと思ってます】‼️
というよーなボヤキトークから、
話が始まってゆきます。
★で、【ホストクラブに戻る】って、ネタの一つと誰しも思うと思いますが、
さにあらず⁉️
Wikipediaには、
三象はベテランだが、いまバイトもしている。
島田一の介の経営するバー【ベル】やホストなど❗️
と出ていた。
⚫︎【ホストクラブに戻る】って、ギャグだと思ったら、現実にしているみたいです。・・あの顔でね⁉️
こんなコメディリリーフ的存在は、
何人も落語家が出て来る寄席には、
なくてはならないものであり、
三象以外に、
🟢林家そめすけ、
林家笑丸、
笑福亭智之介(マジック)がいる❗️
また三象に戻って、
🟣現在の6代文枝が紹介しているエピソードがまた、面白いのだ‼️
文枝【三象は、
大学を出てから、吉本新喜劇に入団し、
皆んなに可愛がられ、
人気が出かかっていた時に、
番組でケガをして長期療養し、
そこから突然、
落語家になった❗️(六代文枝の弟子に)
日舞が好きで、
しなやかな女形をたくみに踊るが、
男気あふれる男で、ガンコ❗️で、
怖いものなし❗️
まじめすぎるのか、弟子につきたての頃、
私が旅先のホテルで、
【風呂入れてくれるか】というと、
〜(湯をはってくれ、というつもり)
三象は、
一緒に風呂に入って、僕の風呂に入って、
僕の体を洗うのか、と勘違いして、
着ていたものを脱ぎだしたので、
ビックリ‼️した。・・・・・】 (完了)
追伸》三象のプロフィール
1956年1月 高知市に生まれる。
関西大学文学部在学中に、
落語研究会に入り(名前を、関大亭鶴亀)、
卒業後、大学の先輩である桂三枝の紹介で、
【吉本の劇場・花月の進行役】を務める。
1979年、吉本新喜劇に入団し、岡八郎の指導を受ける。7年間、在籍。
1986年、30歳で、桂三枝に入門し、内弟子修行を始める。
桂三造の名で、初舞台❗️
1992年、今の【三象】に改名❗️
舞台では、三枝創作の新作落語【お忘れ物承り所】その他や、自作の【農業祭】などを演じている❗️