音楽エピソードの宝箱【ジョン・レノン】❷アルバム【イマジン】ができたワケ❗️禅であり俳句❗️





🟢1971年1月のお忍び日本旅行 by  ジョンとヨーコ




東京に戻って、ある日、歌舞伎座に入った。


演目は、歌右衛門と勘三郎の【隅田川】だった。

場内は真っ暗で、華やかどころか、陰気な舞台❗️ 



セリフもなくて、清元だけでやっている場面だった。


2人には分からないだろうと思って、『出ましょうか』と声をかけようとしたら、

ジョンは頬にとめどなく涙を流していて、

ヨーコが一生懸命、ぬぐっていた。



⚫︎【隅田川】は、『子をさらわれた母親が、日夜狂ったように我が子を探しまわり、隅田川河畔に来て、船頭から殺された我が子が埋まっている場所を教えられ、泣き崩れる』という物語❗️



《話の流れも清元も、ジョンに分かるはずがないと思い込んでいたが、彼は目で見るんじゃなくて、心で観ていたんだと気づいた》‼️



終演後、ジョンが歌右衛門に会いたいと言いだす。



歌右衛門は神経が細かい人なので、楽屋では人とは会わないのを知っていたが、2人を連れていくと、快く会ってくれた❗️



ジョンは、歌右衛門に『とても感激しました。ぜひロンドンに来て【隅田川】を最初からやってほしい』と依頼した。


これは、ジョンの儀礼的な言葉だと思っていたが、

1975年に本当に約束が実現して、驚かされた❗️




4ヶ月後、イギリスに戻ったジョンとヨーコは、

アスコットの自宅スタジオで、新しいアルバムのレコーディングを開始した❗️


アメリカで、その年の9月9日に、 

ジョンの【イマジン】が発売された。



【イマジン】は、肌の色、宗教・思想の違いを超え、

現在では世界の人々に愛される地球規模の人類讃歌となっている。


『イマジン』という言葉は、よく知られているように、ヨーコが1964年に発表した詩集【グレープフルーツ】からインスパイアされたものだ。


ジョンが、当時【禅】の世界に関心を持っていたことが知られると、

禅宗の側から【イマジン】は禅の境地に通じるものだと言い始めた。



🟡ジョンが惹かれた白隠が残した『南無地獄大菩薩』という書には、【地獄も極楽も人の心に映ったものにほかならない】という教えが記載されていて、

これがジョンの歌った【イマジン】の思想に通底するというのだ。



さらに、

アルバム『イマジン』収録の【オー・ヨーコ】は、

ヨーコへの熱い思いを、


芭蕉の俳句【松島や ああ松島や 松島や】を借りて詠んだ、ストレートな愛情表現の俳句ソングといえるものである❣️