落語家列伝。初代桂春団治❷❗️初代が語る落語論。《横腹を抑え苦しみながら笑う❗️笑いが本望》


所がどうしても師匠についてこれだけは言いたいというこれらの弟子共の師匠擁護は、
当の春団治にとっては、実は末梢的なつまらぬこだわりとしか思えぬものでなかったかと思う。 

彼は本格も楷書も別に問題にしているように思われない。

『子は鎹』の一件などの久里丸たちの思い入れは、むしろ春団治にとって馬鹿馬鹿しい考えざまとされているように思う。

彼は1931年(昭和6年)11月22日の大阪毎日新聞の夕刊で、このようなことをしゃべっている。

彼の落語についての基本的な考えがここに出ている。 

すなわち、
『お客さんを笑わすことは、一通りの苦労やおまへん。

これが泣かすほうなら訳はないのですけれど、たとえば、わてのうちが破産して執達吏が来てる・・・
テナ時に、高座へ上がって人情噺でもやったら、情が移って、そらうまい事やれまっしゃろけど、
こんな時、笑わす落語なら、阿呆らしなってきて、とてもやってられまへん。

笑わすコツの第一は、言葉のなまりでしょう。《私は・・・》に、変ななまりをつけて、《わたえャァ》テナことをいうと、いかにも阿保がものゆうてるようで、おかしく聞こえるもんだす。

とにかく私みたいな年の入った馬鹿が、高座ではひとかど賢そうな顔して、もう一つケタ外れの馬鹿者の真似をやるのんだすさかい馬鹿々しいが、お客さんにとってはこれほどオモロイことはおまへんやろ。

それに私はお客がただ笑うだけやなく、涙を流してまで笑うてくれんと頼りのうおます。

というのは、笑うて笑うて、笑いの止まらぬ時、お客は横腹を抑えて涙を流して苦しんでいやはります。

ここまで来て初めて、私は落語家になった生きがいを感じます。

そしてヒックリ返って笑うていやはるお客の様子を上から見渡して、
いつも笑わすほうの肝心の私が、
高座でクスッと笑うて、うれしゅうなってしまいます』