部屋の本棚に、
小澤征爾さんの写真集と、エッセイ本がある。
写真集は、神田の古本屋で見つけた一冊。
エッセイ本は、カナダへの紅鮭撮影に発つ直前、
羽田空港の本屋さんで購入し、
撮影の常宿のユースホステルで、就寝前に読んでいた。
写真学校卒業後、両親の介護が始まり、介護生活に追われる日々の中、
疲労が重なったのか、歌詞のある音楽が聴けなくなり、
ラジオから流れる演歌の 家族愛や、義理人情の歌詞 さえも重たくなり、
音楽が聴けなくなった。
そんなある日、テレビのドキュメンタリー番組に、
アメリカの学生オーケストラを指揮する人物が映っていた。
指揮棒を持たず、手で指揮をしながら、
「君たちの演奏は良すぎる。もっと汚く演奏してくれ」
「そこはジャズのように、演奏してくれる?」
と、学生たちに英語で問いかける。
クラシックはお堅い音楽と思っていたのに、「面白い人だ」と思った。
その指揮者が、小澤征爾さんであることを初めて知った。
それならと思い、クラシックピアノ集から聴き始めた。
メロディーだけの音楽は心地良く、ジャズも聴くようになり、
ジャズやクラシックのコンサートや、アマチュアの音楽イベントにも足を運ぶようになった。生演奏の音に浸っている時だけは、介護の事を忘れられた。
長く続いた介護生活の後、再び上京、
クラシックやジャズCDも、カナダ撮影の友になった。
買い物に寄った、都内のコンビニに、「小澤征爾音楽塾」のオペラ公演ポスターを見つけ、
生で小澤征爾さんの指揮を見てみたいと思い、チケットを買った。
初めて足を運んだ、上野の東京文化会館。
席に座り、初めてのオペラと、生の小澤征爾さんの指揮を観る事が出来た。
背中越しに指揮をする小澤征爾さんの手は、
滑らかで力強く、時には波動の様に、
オーケストラと、音のキャッチボールをしている様に思えた。
小澤征爾さんの指揮は、まるで手話だ。
勝手な思い込みかもしれないけど、そう思った。
エッセイ「おわらない音楽」には、ピアニストを目指していたが、
ラグビーの試合中に、手の指を骨折し、ピアノの先生に指揮者を薦められた事、
お金がなくて留学ができず、同級生の親繋がりの方々に資金援助をしてもらい、
貨物線にスクーターを積んで、ヨーロッパに渡り、指揮者コンクールに応募した事。
指揮者コンクールに優勝したが、ヨーロッパで指揮の仕事が無く、帰国して、誘いのある群馬の楽団に入るつもりが、現地で知り合った作家の井上靖さんから、「諦めるな」と、𠮟られた事が、心の支えになったと記されていた。
理想と現実に揉まれながらも、指揮者へと成長して行く、小澤征爾さんの心情が綴られていた。小澤さんのエッセイを読みながら、明日もいい写真が撮れることを願った。
「誰もが、音楽の担い手になれる」
小澤征爾さんの言葉だ。
演奏写真の依頼を受ける時、この言葉を思い出す。
両親の介護疲れを癒してくれたのは音楽だった。
「担い手」までは行かなくても、「音楽への恩返し」になればと思う。
限られた演奏時間の中で、すべての写真に満足できる訳ではない。
力不足もある。それでも、一枚でもいい写真を撮り、
演奏者の方々に喜んでもらえたらと思う。
天に召された、小澤征爾さん
クラシック音楽を聴くきっかけを与えてくださった事で、私は救われました。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
天国で、お師匠の先生方や演奏家の方々と音楽を楽しんでください。
※「おわらない音楽」の表紙は、日経BPより許可を頂き掲載しました。