対戦型カードゲームが趣味である。
作りたいテーマに沿ってカードを組み合わせ、相手を負かす。そんな同一の楽しみのもとに集まった仲間がいるのだが、どうにも解せないことがある。

対戦をしないのである。
1週間にたった2日しかない限られた休日を割いて、毎日考え抜いて私財を投げうって
集めたカードで勝負をせず、ただ対面に座って1人でプレイをするのである。

とにかく勝負をして、勝ち負け関係なくプレイの精度を磨きたい僕にとって、この行動は理解し難い。

明らかに不自然なのである。勝負するための道具も、場も、時間もあって、しかも対面に座ってあとは勝負をするだけなのに、ひたすら1人で勝負を想定してカードをプレイするのだ。

わからないことをそのままにするのは嫌いである。ただ他人に無理を言って、自分の意図に従わせるのはもっと嫌いだ。なんとなく、相手の負の感情を嗅ぎ取って気まずくなるのが嫌なのだ。例えそれが気のせいでもだ。
この場合、なんとかして納得できない事象に理由付けをして自分を説得させるのが定石である。

さて、今回のケースに関していうと、みな負けるのが嫌なのだと考える。やりたいことをやるために集めたカードは同時に勝つためにお金を使って集めたものでもある。そんなカード達を使って負けることはすなわちそれまでの努力を否定されることに等しい。

しかしだ、よく考えてほしい。勝負なくして強くはなれないのである。1回の負けでせっかく集めたカードが燃え尽きる訳ではない。負けて反省して作り直して考えて、その先に得られる勝ちこそがゲームの醍醐味なのではないか。

とはいえ同時に思うのだが、そこまで勝ちにこだわってなにが得られるのだろうか。強くなって無敗を誇れば賞金が出るのか。出ないのである。物として手に入るものがないのであれば、優先すべきは自分が楽しいかどうかだ。負けて不愉快になるのなんてもってのほかだ。

それでも、やはり納得がいかない。そこで得られる楽しさはいわばファミレスのオムライスで、本当に美味しいオムライスはもっとお金をかけないと食べられないのだ。