「伝えたいことはなにもない。表現したいことは溢れるほどある」
云わずと知れた現代演劇の旗手、平田オリザの名著「現代口語演劇のために」からの一節である。
「表現」という行為の可能性を追求した彼の動機とは一体何であったのか。
「モード」という手法を用いて、それまでの「コード」という呪縛に捕われない新しいジャズを提示したのは帝王・マイルスだが、彼が戦っていたのは単なる「音楽理論」だけではない。
公民権運動が隆盛を極める最中、それまでの「法」や「差別」といった現実世界に存在する束縛からの解放ー「フリージャズ」という表現手段によって、彼は現実世界と戦っていたのだ。
一方「ジャイアント・ステップス」でその呪縛を極限まで追求したサックス奏者・コルトレーンは、後にフリージャズへと傾倒する余り、晩年にはスピリチュアルな方向へと進んでいくようになった。
表現とは時に闘争の手段であり、また逃避の術でもある。
一端の社会人として暮らす僕にとって「表現する」という行為は、矛盾に満ちた生きにくい現代からの自己逃避手段でもある。
この混沌としたカオスから自己を解放し見つめ直すという、一種のマスターベーションに近い行為ーそれが「書く」という行為なのだ。
このブログは、一時の快楽のため産み堕とされた子供のようなものだ。
そしてその不幸な子供たちを責める権利など、誰にもない。
