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5月26日から28日まで、夫と二人で、仙台方面に旅行して来ました。
入籍した12年前は、既に鬱を発症し、寝たきりだったから、二人きりで、旅行したのは、結婚以来初めてでした。
(昨年の沖縄旅行は団体だったので)
本当は、1年前に行くつもりだったけれど、ちょっと、のっぴきならない事情があり、実現出来なくて私は泣きじゃくって、昨年は諦めたんです。
私は、仙台に住む、叔母と従姉妹に会いに行く約束をしていたのでした。
叔母と従姉妹に最後に会ったのは、15年くらい前でした。
鬱を発症してから、従姉妹の結婚式に招待されるもとても、行ける様な状態ではなかったし、祖父母が亡くなっても、葬儀にも出席出来ませんでした。
未だに、電車を見ただけで、恐怖で悲鳴をあげるので、車で行く事になりました。
叔母は、昔、スナックを経営していて、私が高校生の頃に、夏休み、冬休み、春休みになると、アルバイトをさせてくれました。
(叔母を今でもママと呼んでいます)
「今、お金を稼がないと、学校を辞めさせられる。家賃も、水道もガスも電気も止められる」
当時、世間から、私は、裕福な家庭の子と思われていたけど、私に「絶対この家ヤバイよ。何で誰も気づかないんだ?」と、ずーっと何年もイヤな予感がしていたけど、実現しちゃった。
毎日、町役場に通って、どんな所でも構わないから母と妹と私が暮らす場所が欲しいと懇願した。
町の議会で、女子高生が、毎日、役場に通っているが、一つの世帯を分ける形は本来、受け付けないのが規則だが、何とかならないものか、と話し合われたらしく、申請書類を渡され、何とか木造の住宅を借りる事が出来た。
それでも、悪夢の様な出来事ばかり続いて、唯一、学校だけが、イヤなこと、忘れさせてくれた。
そんな時に、ママのお店の手伝いをして欲しいと言われて、初めて、ママと従姉妹の暮らす家に電車に乗って向かった。
そして「さぁ、お店に行くわよ!」と言われて、タクシーで、初めてママのお店に向かった。
一番若いホステスさんが、トイレの掃除から、何から、ひとつずつ、教えてくれた。
初日は、もう、クタクタ。
「ゆこ、働くってさ、大変な事でしょう?お腹空いたべ?ママに着いておいで」と言われて、まだ営業中の飲み屋に行って、やっと、ごはんを食べた。
「ウチの姪っ子よ!」と、以後、あちこちの飲み屋に連れて行かれる度に、ママは、言った。
どういう話で行く事になったのか、男の人が、女の格好としゃべり方をする店にも、連れて行かれたりした。
明け方に帰り、従姉妹の部屋に入ると、私はあっという間に眠っていた。
しかし、まだ、数時間も寝ていないのに、当時小学生だった従姉妹の「起きて!遊んでよ!」と言う攻撃に遭った、毎日💫
まあ、そんなこんなで、今現在、唯一、関わっている身内の、ずーっと会いたかったママと従姉妹に会える!
初めはワクワクだけ。
なのに、出発の数日前から、どんなに払いのけても、不安になってきた。ハカハカ呼吸が乱れたり、旅行中、とんでもない失敗をしてしまうのではないかと、ザワザワが止まらない。
従姉妹には「私は、自分の気持ちの行かないところで、体が痙攣したり、不規則な発声をしてしまう時がある。自傷行為の傷もある。とにかく……昔の私じゃないから」と、伝えた。
従姉妹の家があるところは、静かな住宅街だった。
「着いたよ~」と電話を入れると、夫が「あの家だな」と言った。
ママが、立っていた。
私は、車を飛び降りてママに抱きついて、ワンワン泣いた。ママは、ずっと、ギューッと、抱きしめ続けてくれた。
抱きしめられながら、初めて、人の胸って、こんなに、優しくて、暖かい気持ちになれるんだ、と思った。
玄関に入ると、従姉妹がいた。
また、抱きしめ合って泣いた。従姉妹も、涙を流しながら、私を歓迎してくれた。
ちょっと落ち着いて、ふと見ると、従姉妹の小さな頃とそっくりな女の子が、二人いた。
上の子が、自己紹介を始めたけど、どうやら、幼稚園で習った挨拶のしかたらしかった。
随分ハキハキした子だな、てか、従姉妹も昔、こんな子だったな、と思いながら「私が、ゆこおばちゃんです。はじめまして」と、握手をした。
「ゆこおばちゃん」と呼ばれて嬉しかった。
そして、沢山、積もる話をした。
15年会ってないのに、そんな事、つい昨日の話をする様に、辺りが暗くなるまで、ずっと、おしゃべりをした。
そして、ママが、衝撃発言をした。
ママは、A型で、神経質で、潔癖性で、心配性だった。何でもキチンとしていないと、気が済まない質で、チリひとつ残さず掃除をする様な人だ。
「実は、ママね、少し前に、お医者さんに、あなたはO型です、って言われたの!50年以上A型だと信じてA型らしく生きて来たのに、どうすればいいと思う?」
知るか。
そんなこんなで、夫の出番の少ない旅でしたが、夫と見た風景は、割愛。
一応、仙台に行った証拠写真だけ添付しておきます。

入籍した12年前は、既に鬱を発症し、寝たきりだったから、二人きりで、旅行したのは、結婚以来初めてでした。
(昨年の沖縄旅行は団体だったので)
本当は、1年前に行くつもりだったけれど、ちょっと、のっぴきならない事情があり、実現出来なくて私は泣きじゃくって、昨年は諦めたんです。
私は、仙台に住む、叔母と従姉妹に会いに行く約束をしていたのでした。
叔母と従姉妹に最後に会ったのは、15年くらい前でした。
鬱を発症してから、従姉妹の結婚式に招待されるもとても、行ける様な状態ではなかったし、祖父母が亡くなっても、葬儀にも出席出来ませんでした。
未だに、電車を見ただけで、恐怖で悲鳴をあげるので、車で行く事になりました。
叔母は、昔、スナックを経営していて、私が高校生の頃に、夏休み、冬休み、春休みになると、アルバイトをさせてくれました。
(叔母を今でもママと呼んでいます)
「今、お金を稼がないと、学校を辞めさせられる。家賃も、水道もガスも電気も止められる」
当時、世間から、私は、裕福な家庭の子と思われていたけど、私に「絶対この家ヤバイよ。何で誰も気づかないんだ?」と、ずーっと何年もイヤな予感がしていたけど、実現しちゃった。
毎日、町役場に通って、どんな所でも構わないから母と妹と私が暮らす場所が欲しいと懇願した。
町の議会で、女子高生が、毎日、役場に通っているが、一つの世帯を分ける形は本来、受け付けないのが規則だが、何とかならないものか、と話し合われたらしく、申請書類を渡され、何とか木造の住宅を借りる事が出来た。
それでも、悪夢の様な出来事ばかり続いて、唯一、学校だけが、イヤなこと、忘れさせてくれた。
そんな時に、ママのお店の手伝いをして欲しいと言われて、初めて、ママと従姉妹の暮らす家に電車に乗って向かった。
そして「さぁ、お店に行くわよ!」と言われて、タクシーで、初めてママのお店に向かった。
一番若いホステスさんが、トイレの掃除から、何から、ひとつずつ、教えてくれた。
初日は、もう、クタクタ。
「ゆこ、働くってさ、大変な事でしょう?お腹空いたべ?ママに着いておいで」と言われて、まだ営業中の飲み屋に行って、やっと、ごはんを食べた。
「ウチの姪っ子よ!」と、以後、あちこちの飲み屋に連れて行かれる度に、ママは、言った。
どういう話で行く事になったのか、男の人が、女の格好としゃべり方をする店にも、連れて行かれたりした。
明け方に帰り、従姉妹の部屋に入ると、私はあっという間に眠っていた。
しかし、まだ、数時間も寝ていないのに、当時小学生だった従姉妹の「起きて!遊んでよ!」と言う攻撃に遭った、毎日💫
まあ、そんなこんなで、今現在、唯一、関わっている身内の、ずーっと会いたかったママと従姉妹に会える!
初めはワクワクだけ。
なのに、出発の数日前から、どんなに払いのけても、不安になってきた。ハカハカ呼吸が乱れたり、旅行中、とんでもない失敗をしてしまうのではないかと、ザワザワが止まらない。
従姉妹には「私は、自分の気持ちの行かないところで、体が痙攣したり、不規則な発声をしてしまう時がある。自傷行為の傷もある。とにかく……昔の私じゃないから」と、伝えた。
従姉妹の家があるところは、静かな住宅街だった。
「着いたよ~」と電話を入れると、夫が「あの家だな」と言った。
ママが、立っていた。
私は、車を飛び降りてママに抱きついて、ワンワン泣いた。ママは、ずっと、ギューッと、抱きしめ続けてくれた。
抱きしめられながら、初めて、人の胸って、こんなに、優しくて、暖かい気持ちになれるんだ、と思った。
玄関に入ると、従姉妹がいた。
また、抱きしめ合って泣いた。従姉妹も、涙を流しながら、私を歓迎してくれた。
ちょっと落ち着いて、ふと見ると、従姉妹の小さな頃とそっくりな女の子が、二人いた。
上の子が、自己紹介を始めたけど、どうやら、幼稚園で習った挨拶のしかたらしかった。
随分ハキハキした子だな、てか、従姉妹も昔、こんな子だったな、と思いながら「私が、ゆこおばちゃんです。はじめまして」と、握手をした。
「ゆこおばちゃん」と呼ばれて嬉しかった。
そして、沢山、積もる話をした。
15年会ってないのに、そんな事、つい昨日の話をする様に、辺りが暗くなるまで、ずっと、おしゃべりをした。
そして、ママが、衝撃発言をした。
ママは、A型で、神経質で、潔癖性で、心配性だった。何でもキチンとしていないと、気が済まない質で、チリひとつ残さず掃除をする様な人だ。
「実は、ママね、少し前に、お医者さんに、あなたはO型です、って言われたの!50年以上A型だと信じてA型らしく生きて来たのに、どうすればいいと思う?」
知るか。
そんなこんなで、夫の出番の少ない旅でしたが、夫と見た風景は、割愛。
一応、仙台に行った証拠写真だけ添付しておきます。

今年の思い出と言えば、沖縄旅行だ。
昨年末に、夫から「来年の6月に、沖縄に皆で旅行に行くのが決定したよ」と言われた。
夫は、沖縄出身だ。
恋人のころ、彼の友人が結婚式をあげるから、沖縄を離れて関東に住む仲間全員で、沖縄に行こう!と言う事になった。
私がまだ、発病する数年前だった。
15年くらい、昔の話。
でも、今の私は、電車に乗るのが恐怖で、駅前を見ることも、出来ない。言い表せない恐怖で、絶叫をあげてしまう。
「大丈夫だよ、羽田まで、直接車で行くから、あとはポーンと、飛行機乗っちゃえ!」と言われた。
仲間は、私は、1人で留守番なんだろうなと、ほぼ全員が思っていた。
沖縄行きまで半年、時間がある。
私は、12年来のカウンセラーの先生、内科の女医、精神科の院長に、事前に出来る事や、旅先で発作を起こしたら、どうすれば良いのか、何度も何度も話し合った。
精神科では、時々、発作を起こして注射を打ってもらっているけれど、カルテのない病院では、注射と言う処置が出来ないと、言われた。
発作時の頓服薬を処方されたが、昔、この薬の副作用で、足が絡まって、歩くのが困難になった経験があり、とても、不安になった。
しかし、継続的に飲む訳じゃないから、大丈夫だと言われた。
内科の女医は、旅なれた先生で「もう、当日キャンセルありで、いいんじゃない?そういう心持ちの方が緊張も解けて、むしろ上手く行くかもよ」と、毎月アドバイスをくれた。
カウンセラーの先生は「行ってらっしゃいよ。こんな機会は滅多に巡って来ないわよ」
「実はね、今のあなたと、似た状態の女性が、ハワイに飛んだのよ。兄弟の結婚式で。割りと何とかなるわ」と、背中を押してくれた。
2年くらい前に、私より20歳年下の、職人さんの彼女と仲良くなった。
彼女も一緒に行くのが決まり、やっと私は決心出来た。
当日の朝、彼女らと、夫の車で羽田まで向かった。
空港の待ち合わせの所に行こうとしたら、すぐに発作を起こしてしまった。職人さんは「荷物は全部オレが運ぶから、おっかぁの手を引いてやってくれ!」彼女は、ずっと手を握りしめて、私を引っ張ってくれた。(私は、みんなに、おっかぁと呼ばれている)
沖縄旅行の中身は、割愛(すみません)
帰りの那覇空港でも、発作を起こした。
でも、仲間はみんな、発作は、必ず治まるのを知っていたから、誰もおおっぴらな態度は取らない。
頓服薬が効いて、少し眠った。
目が覚めたら、ひとりひとり、私の顔を見て、微笑んでくれた。
沖縄旅行は、12年引きこもった私に自信を与えてくれた。
まだまだ、私は、克服出来ない事が沢山あるけれど来年は15年会っていない、叔母と従妹に会いに行くのが、目標です。
私を黙って見守ってくれた皆さんに、感謝の1年でした。
本当にありがとうございました。
皆さまも、素敵な年を迎えて下さいね。
昨年末に、夫から「来年の6月に、沖縄に皆で旅行に行くのが決定したよ」と言われた。
夫は、沖縄出身だ。
恋人のころ、彼の友人が結婚式をあげるから、沖縄を離れて関東に住む仲間全員で、沖縄に行こう!と言う事になった。
私がまだ、発病する数年前だった。
15年くらい、昔の話。
でも、今の私は、電車に乗るのが恐怖で、駅前を見ることも、出来ない。言い表せない恐怖で、絶叫をあげてしまう。
「大丈夫だよ、羽田まで、直接車で行くから、あとはポーンと、飛行機乗っちゃえ!」と言われた。
仲間は、私は、1人で留守番なんだろうなと、ほぼ全員が思っていた。
沖縄行きまで半年、時間がある。
私は、12年来のカウンセラーの先生、内科の女医、精神科の院長に、事前に出来る事や、旅先で発作を起こしたら、どうすれば良いのか、何度も何度も話し合った。
精神科では、時々、発作を起こして注射を打ってもらっているけれど、カルテのない病院では、注射と言う処置が出来ないと、言われた。
発作時の頓服薬を処方されたが、昔、この薬の副作用で、足が絡まって、歩くのが困難になった経験があり、とても、不安になった。
しかし、継続的に飲む訳じゃないから、大丈夫だと言われた。
内科の女医は、旅なれた先生で「もう、当日キャンセルありで、いいんじゃない?そういう心持ちの方が緊張も解けて、むしろ上手く行くかもよ」と、毎月アドバイスをくれた。
カウンセラーの先生は「行ってらっしゃいよ。こんな機会は滅多に巡って来ないわよ」
「実はね、今のあなたと、似た状態の女性が、ハワイに飛んだのよ。兄弟の結婚式で。割りと何とかなるわ」と、背中を押してくれた。
2年くらい前に、私より20歳年下の、職人さんの彼女と仲良くなった。
彼女も一緒に行くのが決まり、やっと私は決心出来た。
当日の朝、彼女らと、夫の車で羽田まで向かった。
空港の待ち合わせの所に行こうとしたら、すぐに発作を起こしてしまった。職人さんは「荷物は全部オレが運ぶから、おっかぁの手を引いてやってくれ!」彼女は、ずっと手を握りしめて、私を引っ張ってくれた。(私は、みんなに、おっかぁと呼ばれている)
沖縄旅行の中身は、割愛(すみません)
帰りの那覇空港でも、発作を起こした。
でも、仲間はみんな、発作は、必ず治まるのを知っていたから、誰もおおっぴらな態度は取らない。
頓服薬が効いて、少し眠った。
目が覚めたら、ひとりひとり、私の顔を見て、微笑んでくれた。
沖縄旅行は、12年引きこもった私に自信を与えてくれた。
まだまだ、私は、克服出来ない事が沢山あるけれど来年は15年会っていない、叔母と従妹に会いに行くのが、目標です。
私を黙って見守ってくれた皆さんに、感謝の1年でした。
本当にありがとうございました。
皆さまも、素敵な年を迎えて下さいね。