shock-shine2089さんのブログ

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つーか、また ほったらかしっぱなしてましたが、久方ぶりに一本。

てっぺん大嶋啓介くんの昨日の【夢エール】Vol.1273 から


こんにちは♪♪

今日は海外からワクワクさまです♪
夢エールの大嶋です♪

なんと、なんと、明日21日22時~“未来世紀ジパング”というテレビ東京の番組に、韓国のてっぺんが取り上げられます♪パチパチパチパチ♪
http://www.tv-tokyo.co.jp/zipangu/

創業メンバーの徳田率いる韓国では、てっぺんは3店舗あり、韓国でも朝礼見学者の数もかなりすごいです。

ぜひ、明日、テレビ観てやってください♪


ということで、
今日は、子育てに関するかなり素敵なお話をご紹介します♪


桂小金治氏のお話です。
心に響きます。

=====
ところで、この頃(10歳頃)、


僕にとって忘れられない出来事があります。


ある日、友達の家に行ったらハーモニカがあって、


吹いてみたらすごく上手に演奏できたんです。


無理だと知りつつも、家に帰ってハーモニカを買ってくれと親父にせがんでみた。


すると親父は、


「いい音ならこれで出せ」


と神棚の榊(さかき)の葉を1枚取って、


それで「ふるさと」を吹いたんです。


あまりの音色のよさに僕は思わず聞き惚れてしまった。


もちろん、親父は吹き方など教えてはくれません。


「俺にできておまえにできないわけがない」


そう言われて学校の行き帰り、葉っぱをむしっては一人で草笛を練習しました。


だけど、どんなに頑張ってみても一向に音は出ない。


諦めて数日でやめてしまいました。



これを知った親父がある日、


「おまえ悔しくないのか。


俺は吹けるがおまえは吹けない。


おまえは俺に負けたんだぞ」


と僕を一喝しました。


続けて


「一念発起は誰でもする。


実行、努力までならみんなする。


そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。


一歩抜きん出るには


努力の上の辛抱という棒を立てるんだよ。


この棒に花が咲くんだ」

と。


その言葉に触発されて


僕は来る日も来る日も練習を続けました。


そうやって何とかメロディーが奏でられるようになったんです。



草笛が吹けるようになった日、


さっそく親父の前で披露しました。


得意満面の僕を見て親父は言いました。


「偉そうな顔するなよ。


何か一つのことができるようになった時、


自分一人の手柄と思うな。


世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。


錐(きり)だってそうじゃないか。


片手で錐は揉めぬ」


努力することに加えて、


人様への感謝の気持ちが生きていく上で


どれだけ大切かということを、


この時、親父に気づかせてもらったんです。



翌朝、目を覚ましたら枕元に新聞紙に包んだ細長いものがある。


開けて見たらハーモニカでした。


喜び勇んで親父のところに駆けつけると、


「努力の上の辛抱を立てたんだろう。


花が咲くのは当たりめえだよ」



子ども心にこんなに嬉しい言葉はありません。


あまりに嬉しいものだかち、お袋にも話したんです。


するとお袋は


「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。


お父ちゃんが言っていた。


あの子はきっと草笛が吹けるようになるからってね」



僕の目から大粒の涙が流れ落ちました。


いまでもこの時の心の震えるような感動は、


色あせることなく心に鮮明に焼きついています。


かつての日本にはこのような


親子の心の触れ合いが息づいていたんです。

=====

素敵な話ですね♪

『子供は親の言うことを聴くことは苦手だ。

しかし、
子供は親の真似をすることは得意なのだ』

今日も素敵な一日にしていきましょう♪♪

6月27日(水)~28日(木)は鹿児島知覧にて西田先生合宿を開催します!!
https://www.posh.jp/t2/ex/re.php?w=bg5o50fdn7&i=4565X244510

動けば変わる♪♪
よろしくお願いします♪♪
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さっき読んだ野田宜成氏メルマガから↓

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■今日の名言 野田解釈
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好きな作家のひとり

城山三郎氏。


父親が好きだった影響で

読みはじめたのですが


その著書の中で


「そうか、もう君はいないのか」


結婚する人や


結婚したての人に

読んでもらいたい本の


一つです。



通常は、経済や政治の世界に生きた人の

生きざまを描く人で


元々、経済学者なので


経済自体が勉強なるので


読んでいました。


しかし、読み終えると


生きざまを勉強できるのが

とっても気に入った本の一つなのです。



彼が題材にしたい

政治家、経済人が

今の世の中に出てくると


日本は、復活することになるのかもしれないなー


なんて、生意気なことを思ったりしてました。



その彼が残した言葉の一つ



『一つの会社に孜々(しし)営々と十余年つとめているということ、

 そして、

 妻子をかかえて暮らしていくということ

 ----それはじゅうぶんに人間としての

 重さを感じさせてよいことだ。


 人間としてのたしかさを認められていいことではないか。』


 (城山三郎)



「人間としてのたしかさ」


これは、一つに


小さな縁を

長く続かせる能力かも知れないなー


と思うのです。



「そうか、もう君はいないのか」


の、奥様の出会いの書き出しは、


「ある朝の何でもない偶然、

 そして、

 誤解から始まった。


 五分、いや三分でも時間が行きちがったら、

 初対面もなく、

 二人は生涯会うこともない運命であった。」


小さな、小さな偶然が


長く、長く大切にできること


これが、日本人の良いところかなー


なんて思いながら


名言を読み返したのでした。



  感謝!! のだ




野田 宜成
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ゆうべは ブリ大根を作りました。

やっぱ出汁が命。料理は手間かけて‥と、某割烹の親方に感謝。

ま、さらに貼りま↓

人の心に灯をともす 917 なせば成る


【なせば成る】№917


『13歳からの 道徳教科書』の中から、心に響くお話です…


1961年、アメリカ合衆国の第35代大統領に就任したジョン・F・ケネディが尊敬する政治家として一人の日本人の名前を挙げました。

上杉鷹山(ようざん)です。

鷹山は江戸時代中期から後期にかけての米沢藩の藩主です。


上杉鷹山はもともと米沢藩の家系の生まれではありません。

今の宮崎県の一部に当たる高鍋藩の藩主の二男として生まれ、米沢藩第8代藩主・上杉重定の養子になりました。

そしてわずか17歳で第9代の藩主になりました。


上杉家はもともと大きな藩でした。

しかし、関ヶ原の合戦で石田三成に味方したために徳川家康によって会津120万石から米沢30万石に減封され、また第3代藩主が跡継ぎを決める前に急死したためにさらに半分の15万石に減らされてしまいました。

収入が八分の一になったのに120万石当時の家臣団6000人を抱え、格式も踏襲して既に借金は20万両にも達していました。

加えて幕府への出費や洪水の被害が藩財政を直撃し、悪いことには何度かの大凶作が追い打ちをかけていました。


藩主になって鷹山がまっ先に行ったのは藩全体に倹約の命令を出すことでした。

短期間に大幅な収入が見込めない以上、できるだけ出費を切り詰めなければなりません。


当時は参勤交代といって江戸と領地とを交互に行き来して生活する慣習になっていましたが、江戸屋敷での自身の生活費を鷹山は七分の一にまで切り詰めました。

日常の食事は一汁一菜、衣服は綿服とし、屋敷で働く奥女中も50人を9人に減らしました。

米沢での藩主就任祝いの宴会でもごちそうを止め、赤飯とお酒だけで行いました。

その席で彼は、武士としては一番格下の足軽まで親しく声を掛けたといいます。


このような鷹山の姿勢に共鳴する家臣もいた一方で、古くからの家臣たちの中には強く反発する者もいました。

ついに、7人の有力な家臣が叛旗をひるがえしました。

しかし、鷹山はひるみませんでした。

すぐさま7人に厳しい処分を下し、改革の姿勢をとり続けました。


鷹山は自らも鍬(くわ)を取って働きました。

当時は藩主が自ら鍬を取って肉体労働をすることは驚くべきことでした。

米の生産高を上げるために山をくり抜いて大規模な農業用水路を作り、新田開発や河川の改修、橋の架け替え、もみ倉の建設などを行いました。

また、漆や桑、こうぞの木を藩内に百万本植えました。

漆の実はロウソクの原料に、桑の葉は絹糸づくりの蚕のエサに、こうぞは和紙の原料になるものでした。


鷹山は質素倹約を奨励しましたが、将来の財政に繋がることにはお金を注ぎました。

温泉地帯での塩の精製、藩内で産出する火打ち石の江戸での販売、墨、すずり、染料の藍玉の製造、陶器焼き場の建設、鯉の育成など、産業振興による収入増を行いました。

下級武士には内職として一刀彫や人形などを作らせ、少しでも収入にするよう奨励しました。


また江戸から細井平州という有名な学者を招いて藩の学校・興譲館を開き、家柄にとらわれない優秀な人材を育てました。

また藩の財政支出の公開も行いました。


こうして藩の建て直しの目途が立った頃、鷹山は35歳の若さで藩主の地位から退きました。

跡を継いだのは前藩主・重定の実の息子でした。

鷹山は中継ぎ役を果たしたのです。


鷹山の妻は重定の娘でしたが、生まれながらに心身に障害を持った妻を鷹山は心から慈しんだと言われています。

「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成さぬは人の なさぬなりけり」(上杉鷹山)

『13歳からの 道徳教科書』育鵬社



道徳教育が日本からなくなって久しい。

戦後になり、戦前の教育がすべて悪、とされたからだ。

しかし、日本人が日本人としての生き方や、規範、そして道徳を伝えていかなかったら、日本はいつか壊れていってしまう。

その道徳教育の根幹をなすものが、偉人や英雄といった優れた人物の生涯を知ることだ。


ケネディ大統領が絶賛したという上杉鷹山。

財政状況が破綻寸前といわれる日本、もう一度謙虚に鷹山を勉強する必要がある。





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