どうも、今回はタイトルから大体分かる通り2011年3月11日に起きた東日本大震災についてです。
実際に僕が東日本大震災で経験したことをずらずらと書くだけなので文だけでものすごく見にくいかもしれないです。
1.地震発生前
2.地震発生
サイクリング中、1人の携帯の緊急地震速報が鳴り、その直後物凄い揺れが襲いました。
初めはその揺れを面白がって「誰が最後まで自転車に跨って立っていられるかゲーム」という鬼畜ゲームをしていましたが、揺れは収まることなく強さを増していき、目の前の電柱が折れ、火花を散らしながら電線が切れ、その破片が僕の自転車のカゴに入ったことでびびって倒れてしまい、僕はその鬼畜ゲームに負けてしまいました。
地震が発生してから間もなく、携帯でテレビを見て僕が住んでいる地域に大津波警報が発表されていることを知り、なんとなく事の重大さを感じた当時の僕達は解散し、避難の準備をすることになりました。
3.避難準備
解散し、自宅に着くと母、姉、祖母がラジオを聞きながら家の片付けをしていました。
家の状態は、タンスは全て倒れ、食器等も床に割れ落ちており、見たことがないくらい悲惨な状態でした。
母や祖母は大津波警報が発表されているのを把握していましたが、まさかここまでくるはずがない。避難するのはもっと海に近い人達だけだと言い、家の片付けをしつつ、水や食料を車に積む作業をしていました。
4.津波
母、祖母が片付けをしている時、僕は自宅に帰る途中で川の底が見えるくらいまで干上がっていたのを見ていたため、物凄い嫌な予感がしており、何度も家の外に出ては津波が来ていないか確認していました。
4〜5回目の確認の時、いつも畑だった場所が真っ黒な海になっており、急いで母、姉、祖母に対して「津波!来てる!早く!」と大声で何度も叫びました。
僕の叫びで全員急いで車に乗り込みましたが既に足下には真っ黒な波がサーっと流れてきており車を走らせるも30秒ほどで車が浮いてしまい、制御ができなくなってしまいました。
しばらくどうすることもできずに流されていると、運良く近所の家のブロック塀で動きが止まり、車から出ようとしましたが水圧のせいか、ドアがびくともしなかったためブロック塀側の窓を開けて車から脱出しました。
この時の波の高さは胸より少し上あたりで、首から下はほぼ全身津波に呑まれながら必死にブロック塀にしがみつき、近所の家まで辿り着くことができました。(近所の人もまさかここまで津波が来ると思っておらず、家の中にいたため、津波に呑まれたところをロープ?ホース?かなんかで助けてくれました)
5.夜
近所の人の家で波が引くまで待っていると、午後11時頃祖母が突然家に戻りたいと言い始め、1人だけでも帰ると言っていたため、母、姉、祖母、僕はいつもなら徒歩で1分もかからずに家に着く距離だったのでまだ波が引き切っていない真っ暗なところを帰ることになりました。この時の波の高さは腰あたり。真っ暗で、波で道も見えていなかったため、5〜10分ほどかけて電車ごっこの要領で自宅に戻りました。
6.孤立状態
3月11日から一夜明けて3月12日から3日間波が一向に引かず、僕達は孤立状態となりました。
朝になって自宅の1階部分を見ると、玄関のドアは外れて無くなっており、全てに分厚い泥が被さっていました。
孤立状態中は自宅2階で過ごしており、水や食料は車に積んだままどこかに流されてしまったため、ほぼありませんでした。しかし、数枚入った煎餅と2Lのペットボトルに入った水があったため、1日1枚の煎餅と少量の水で飢えを凌いでいました。
7.避難
3月14日、父も家に帰ったきてようやく波が引いて歩ける状態となり、避難所である小学校に向けて午前10時頃避難を開始しましたが、大きな引き波が観測されたらしく?また大きな津波が来るとの情報が入ったため、一度避難を断念。午後4時頃なかなか津波が来なかったため、もう一度避難を開始し、無事小学校に着くことができ、避難することができました。
8.最後に
いかがだったでしょうか。これが僕が東日本大震災で経験したことです。
避難に間に合わず、津波に呑まれ、3日間孤立しました。もし車がブロック塀で止まらなかったら、もし近所の人がいなかったらなど考えるともしかしたら今の僕はいなかったのかもしれません。
東日本大震災の被害実態などをもとに、内閣府の分析では、30cmの津波で死亡者が発生。1mの津波では死者率が100%に達するそうです。そうなると、僕の家族が全員生き延びたのは奇跡どころの話ではないのかもしれません。
現在の緊急地震速報や津波警報などは東日本大震災で大きく改善されたそうですが、その情報を過信することなく、常に最悪な状況を想定して行動していただきたいです。自然相手に「まさか〜はずがない」というようなことは通用しません。
中学の校長が「空振りばんざい」とよく話していました。いつでも避難できる準備をし、いざ避難して何もなかったとしても、何もなくてよかった。と思えるように。