<僕のブログの記事のコンセプト>
僕のブログは『何年も受験勉強をしたくない受験生』が超短期(半年~1年)位で受かる為に勉強を始める前から知っておくべき情報やそのツールの運用法、試験勉強の本質が『極めてニュートラルな立場』から書かれているブログとしてご支持を受けております。
特にある程度の実力者や初学者、独学者、やる気がある方、他資格受験生で何らかのアドバンテージをお持ちの方も多いです。
合格レベルにかなり近い方が合格を鉄板にする。!!
当然ですが『超短期で合格する事が最大の目的』ですから受験するための勉強や、価値規範的な考えを振り回すまわりくどいやり方、どうでもいい低レベルすぎる問題意識、自分のビジネスに誘導するためにしつこく他者の批判や考え方、ツールなどの批判、足を引っ張ったりする方は、『こういった試験の真実や実態が受験生目線で大胆に公表されること』に不愉快に感じられる部分があるかもしれません。そのような方は閲覧注意。でお願い致します。
レベルを中庸化や複数受験経験の方にまでさげて汎用性のある書き方はしてません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
みなさん。こんにちは。いつも僕のブログをご購読いただき有難うございます。
ある一つの道を極めプロフェッショナルになるために千利休の教えとして守破離の教えがあります。
今回はこの中の離の部分に拘ってみたいのです。
簡単にいえば
守
最初の段階では、指導者の話を守る。できるだけ多くの話を聞き、指導者の行動を見習って、指導者の価値観を自分のものにしていく。すべてを習得できたと感じるまでは、指導者の指導の通りの行動する。
破
次の段階で、指導者の話しを守るだけではなく、破る行為をしてみる。自分独自に工夫して、指導者の話になかった方法を試してみる。
離
最後の段階では、指導者のもとから離れて、自分自身で学んだ内容をさらに発展させる。
もっと分かり易く言うと、まず、マネをして、次の自分のオリジナルを混ぜてみて、最後に、新しいものをつくっていくということですね。
これは、どんな世界でも通用し、応用できる考え方です。
守や破の精神を根底に持ち続けて自分の内なるものと対話をしていく謙虚な心を持つことは必要だと思います。
今回の行政書士試験ではありませんが、私が昔、ほかの資格を取得して祝賀会に参加した際にある先生から個別にこのような激励の言葉をかけて頂きました。
「○○さんおめでとう。あなたはとても一生懸命で教えに素直ないい受講生だった。でも明日からは守破離の世界なら離だ。それを心にとめて頑張ってくれ。」
「同じ法律を学んだ者として今後は先生と生徒としての立場でなく同じ仲間として君と忌憚なく色んな話をしたい。もちろん実務の話も含めて。」
「君に受験講師として受かるために教えるべきことはすべて教えた。あなたからはその対価として受講料も頂いてるんだ。もう俺の事は忘れてくれ。笑」
当時は正直なんとなく違和感を感じたのは覚えています。でもそのことはしばらくして何となくわかってきました。ここに早くきづいたのは良かったです。
君にとってゴールはここじゃないだろ。もっと先を目指してまたいつか戻って来いよ。そんな風にいわれてる感じがしたことも確かです。
別に、仕事でもなんでもそうだけど僕が言いたいのは離で上司を超えろとか、勝てとか、否定しろとか、世話になった仁義をないがしろにしろということではないんです。一方上司にしてみたらけむったいとかそういうことでもないと思うのです。
つまり仕事上では対等の関係として個人を尊重し、お互いに認め合える関係を築けるレベルに到達することだと思うのです。相手の方も様々だとは思いますが合格や結果という地点をエンドにいつまでもここにこだわってるようであれば残念だし、自分を無理に守や破のポジションに押し込んでおくなんてもったいないですよ。一度きりの人生だから。当然全部が全部相手とおんなじ意見や考えになるほうがなんとなくおかしいし議論することが大事だと思うのです。
行政書士試験に合格したみなさん。あなたは今この3段階のうちどのステージにいらっしゃいますか?感謝の心、謙虚の気持ちを持つことはもちろん大切ですが、ならそれを今度はお世話になったあらゆる方々や、世の中で困っている方々に対して色んな形でお返ししてあげたいって思いますよね。それにはやっぱり常に離の精神が必要だと思うのです。
頓珍漢で的はずれな問題意識ではなく良質な批判的精神!
でないとこういう守や破のレベルにいつまでもこだわってる人の話って受け売りのレベルで心に刺さらないし、会社であれば都合のよいメッセンジャーボーイなのかな?って思ってしまうのです。別に悪いとは言いませんが相談会やセミナー行って話を聞いてみたらあれどっかで聞いた話ばかりだな~。よくよく考えてみたら実は大先生の弟子でしたとかね笑。ならオリジナルの大先生に直接聞いたほうが早くていいじゃん笑。回りくどくないし。俺は同じ話を別に2回聞きたいわけじゃない。と
俺はそういう存在でもいい。いやそれが仕事だ。それも好きだ。大先生によいしょをして気持ちよくなってもらいたい。ならそういう生き方も表現方法も尊重されます。そういう影武者のような地味な生き方を僕は否定はしません。むしろ自分の関連領域の中で絶対的に大切にしたいシンボル、レジェンド、触れてはいけないものなどを持ってるのことはとても大切で素敵なことだと思うのです。
ただね。一時の熱狂的な状態が終了したときに、ふと冷静に我を振り返ったとき、そして現在と将来のなりたい自分、生き方を考えたときに本当の意味でのオリジナリテイを出せない自分や環境にとどまっていてそれで満足するのか?窮屈ではないのかな?と思ってしまうのです。
意外と冷静な視点で見てる第三者もいるのも事実です。
もちろん自分が将来漠然と描いてる理想の一部にそれが含まれていて活かしたい気持ちとそれに向けてのステップであればそれは大切にすべきだと思います。
実は今回の記事と関連して気になったことがあります。
行政書士試験で学者の基本書をやたらと推奨する方の存在。
推奨すること自体は悪くないと思いますが、賢明な読者の方、受験生、合格者は既に気付いています。
そもそも試験委員の教授などが率先して必要と薦めているか?そしてそれを使わない奴は○だとか一流の実務家にはなれない。法律家としては○だなどという勝手な評価をつけて薦めているでしょうか?
僕のブログは『何年も受験勉強をしたくない受験生』が超短期(半年~1年)位で受かる為に勉強を始める前から知っておくべき情報やそのツールの運用法、試験勉強の本質が『極めてニュートラルな立場』から書かれているブログとしてご支持を受けております。
特にある程度の実力者や初学者、独学者、やる気がある方、他資格受験生で何らかのアドバンテージをお持ちの方も多いです。
合格レベルにかなり近い方が合格を鉄板にする。!!
当然ですが『超短期で合格する事が最大の目的』ですから受験するための勉強や、価値規範的な考えを振り回すまわりくどいやり方、どうでもいい低レベルすぎる問題意識、自分のビジネスに誘導するためにしつこく他者の批判や考え方、ツールなどの批判、足を引っ張ったりする方は、『こういった試験の真実や実態が受験生目線で大胆に公表されること』に不愉快に感じられる部分があるかもしれません。そのような方は閲覧注意。でお願い致します。
レベルを中庸化や複数受験経験の方にまでさげて汎用性のある書き方はしてません。
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みなさん。こんにちは。いつも僕のブログをご購読いただき有難うございます。
ある一つの道を極めプロフェッショナルになるために千利休の教えとして守破離の教えがあります。
今回はこの中の離の部分に拘ってみたいのです。
簡単にいえば
守
最初の段階では、指導者の話を守る。できるだけ多くの話を聞き、指導者の行動を見習って、指導者の価値観を自分のものにしていく。すべてを習得できたと感じるまでは、指導者の指導の通りの行動する。
破
次の段階で、指導者の話しを守るだけではなく、破る行為をしてみる。自分独自に工夫して、指導者の話になかった方法を試してみる。
離
最後の段階では、指導者のもとから離れて、自分自身で学んだ内容をさらに発展させる。
もっと分かり易く言うと、まず、マネをして、次の自分のオリジナルを混ぜてみて、最後に、新しいものをつくっていくということですね。
これは、どんな世界でも通用し、応用できる考え方です。
守や破の精神を根底に持ち続けて自分の内なるものと対話をしていく謙虚な心を持つことは必要だと思います。
今回の行政書士試験ではありませんが、私が昔、ほかの資格を取得して祝賀会に参加した際にある先生から個別にこのような激励の言葉をかけて頂きました。
「○○さんおめでとう。あなたはとても一生懸命で教えに素直ないい受講生だった。でも明日からは守破離の世界なら離だ。それを心にとめて頑張ってくれ。」
「同じ法律を学んだ者として今後は先生と生徒としての立場でなく同じ仲間として君と忌憚なく色んな話をしたい。もちろん実務の話も含めて。」
「君に受験講師として受かるために教えるべきことはすべて教えた。あなたからはその対価として受講料も頂いてるんだ。もう俺の事は忘れてくれ。笑」
当時は正直なんとなく違和感を感じたのは覚えています。でもそのことはしばらくして何となくわかってきました。ここに早くきづいたのは良かったです。
君にとってゴールはここじゃないだろ。もっと先を目指してまたいつか戻って来いよ。そんな風にいわれてる感じがしたことも確かです。
別に、仕事でもなんでもそうだけど僕が言いたいのは離で上司を超えろとか、勝てとか、否定しろとか、世話になった仁義をないがしろにしろということではないんです。一方上司にしてみたらけむったいとかそういうことでもないと思うのです。
つまり仕事上では対等の関係として個人を尊重し、お互いに認め合える関係を築けるレベルに到達することだと思うのです。相手の方も様々だとは思いますが合格や結果という地点をエンドにいつまでもここにこだわってるようであれば残念だし、自分を無理に守や破のポジションに押し込んでおくなんてもったいないですよ。一度きりの人生だから。当然全部が全部相手とおんなじ意見や考えになるほうがなんとなくおかしいし議論することが大事だと思うのです。
行政書士試験に合格したみなさん。あなたは今この3段階のうちどのステージにいらっしゃいますか?感謝の心、謙虚の気持ちを持つことはもちろん大切ですが、ならそれを今度はお世話になったあらゆる方々や、世の中で困っている方々に対して色んな形でお返ししてあげたいって思いますよね。それにはやっぱり常に離の精神が必要だと思うのです。
頓珍漢で的はずれな問題意識ではなく良質な批判的精神!
でないとこういう守や破のレベルにいつまでもこだわってる人の話って受け売りのレベルで心に刺さらないし、会社であれば都合のよいメッセンジャーボーイなのかな?って思ってしまうのです。別に悪いとは言いませんが相談会やセミナー行って話を聞いてみたらあれどっかで聞いた話ばかりだな~。よくよく考えてみたら実は大先生の弟子でしたとかね笑。ならオリジナルの大先生に直接聞いたほうが早くていいじゃん笑。回りくどくないし。俺は同じ話を別に2回聞きたいわけじゃない。と
俺はそういう存在でもいい。いやそれが仕事だ。それも好きだ。大先生によいしょをして気持ちよくなってもらいたい。ならそういう生き方も表現方法も尊重されます。そういう影武者のような地味な生き方を僕は否定はしません。むしろ自分の関連領域の中で絶対的に大切にしたいシンボル、レジェンド、触れてはいけないものなどを持ってるのことはとても大切で素敵なことだと思うのです。
ただね。一時の熱狂的な状態が終了したときに、ふと冷静に我を振り返ったとき、そして現在と将来のなりたい自分、生き方を考えたときに本当の意味でのオリジナリテイを出せない自分や環境にとどまっていてそれで満足するのか?窮屈ではないのかな?と思ってしまうのです。
意外と冷静な視点で見てる第三者もいるのも事実です。
もちろん自分が将来漠然と描いてる理想の一部にそれが含まれていて活かしたい気持ちとそれに向けてのステップであればそれは大切にすべきだと思います。
実は今回の記事と関連して気になったことがあります。
行政書士試験で学者の基本書をやたらと推奨する方の存在。
推奨すること自体は悪くないと思いますが、賢明な読者の方、受験生、合格者は既に気付いています。
そもそも試験委員の教授などが率先して必要と薦めているか?そしてそれを使わない奴は○だとか一流の実務家にはなれない。法律家としては○だなどという勝手な評価をつけて薦めているでしょうか?
戦略だの戦術だの方法論だのからすら全くずれてかけ離れたこの方限定の主観的思考!
不快な空気と『この人わかってないな~』とともにセンスを疑われているのです。
そもそも教授は、ニーズを考えればそのようなことをする必要ないですよね。私の専門領域に理解し興味のある方だけ勝手に読んでくれればいいスタンスなんです。
『貴方はある特定学者のただの御用学者なのか?』
なのにオリジナルの方を差し置いて勝手に学者の基本書をやたらと推奨する方。結果的に『離の精神からの脱却』ができないのかな。そしてそれを理解しない方、あるいは異なる手段を講じた方に対しては勝手に負のレッテルづけ。
それも度が過ぎてしつこいと『本物=オリジナル』に最初からあたったほうがいいかな?そのほうが時間もコストもかからないし、てっとり早いし、不愉快な空気にもならないからなんです。加えてサービスを提供する側の『離の精神からの脱却』からの面でも??なので。
オリジナルの教授ですらいくらビジネスだからといって『そこまでいってないでしょ?』なんです。
大事なものとの対話の心を残して尊重しつつも『離の精神』とはどういうものか考える!
現実に具現化されて実利に役立つものとしてもう答は出ていると思うのですが。
好きなアイドルは自分と同じじゃないといやだ。応援の仕方も好きな部分も一緒じゃないと価値観がわかりあえない。結果として時間もコストも自分たちと同じように一緒に価値観を共有してくれない奴はわかってない。限定世界でのちっぽけなビジネス全開の受験多年化計画コミュニケーション。構造は結局一緒だと思います。

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そもそも教授は、ニーズを考えればそのようなことをする必要ないですよね。私の専門領域に理解し興味のある方だけ勝手に読んでくれればいいスタンスなんです。
『貴方はある特定学者のただの御用学者なのか?』
なのにオリジナルの方を差し置いて勝手に学者の基本書をやたらと推奨する方。結果的に『離の精神からの脱却』ができないのかな。そしてそれを理解しない方、あるいは異なる手段を講じた方に対しては勝手に負のレッテルづけ。
それも度が過ぎてしつこいと『本物=オリジナル』に最初からあたったほうがいいかな?そのほうが時間もコストもかからないし、てっとり早いし、不愉快な空気にもならないからなんです。加えてサービスを提供する側の『離の精神からの脱却』からの面でも??なので。
オリジナルの教授ですらいくらビジネスだからといって『そこまでいってないでしょ?』なんです。
大事なものとの対話の心を残して尊重しつつも『離の精神』とはどういうものか考える!
現実に具現化されて実利に役立つものとしてもう答は出ていると思うのですが。
好きなアイドルは自分と同じじゃないといやだ。応援の仕方も好きな部分も一緒じゃないと価値観がわかりあえない。結果として時間もコストも自分たちと同じように一緒に価値観を共有してくれない奴はわかってない。限定世界でのちっぽけなビジネス全開の受験多年化計画コミュニケーション。構造は結局一緒だと思います。
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