プロタゴラス 【人間は万物の尺度である】
全てのことに絶対的な真実は存在しているとは言えず、人それぞれの価値観に由来する。
善悪についても、ある人にとっては善である行動が、違う人にとっては悪であったりする。
善だ、悪だというのは自分を基準として主張しているのであって、絶対的なものではない。
「客観的な真理などというものはなく、主観的・相対的真理だけがある」
ソクラテス 【無知の知の対話方法】
①相手の主張Aを受け入れる
②AからB(C,D)を導く
③Bから相手の主張Aの否定を導き、Aが矛盾していることを示す。
対話を通じて相手の持つ考え方に疑問を投げかけ、相手の矛盾や行き詰まりを自覚させ、相手自身で真理を発見させる。
プラトン 【探求のパラドックス】
人間は自分が知っているものも、知らないものも探求することができない。
知っているものについて探求する必要がない。また知らないものは何を探求すべきかということも知らないはずだから、知らないものを探求することもありえない。
しかしこのパラドックスでは完全にという前提が存在する。例えば物理学において彼が全ての物理法則を知っているのならば探求することはできないが、そうでないのであればその知識を越えた物理法則を探求することができるだろう。
また知らないということも、完全に無知ならば探求することはできないがソクラテスも言及しているように、知識は欠けていても正しい思惑を持っているのであれば探求するということは可能といえる。
アリストテレス 【四原因説】
自然学は現象について四つの原因を検討すべきであるという説
【質料因】事物の内在的構成要素
☆椅子においては材質
【形相因】その事物はそもそも何か 椅子においては、椅子そのもの
☆人が座るものということ
【作用因】どうしてそこにあるのかという原因
☆大工さんが作ったから、買ってきたから
【目的因】何のためにそこにあるのかという目的
☆部屋に必要だから 事務作業に使うから
【パルメニデス】
「あるものはある、あらぬものはあらぬ」という命題。万物は不変であるということ。
これにより、生成・消滅は不可能である。なぜなら生成とは生成とはあらぬものがあることになってしまうことである。消滅も同様に不可能だ。故に始まりもなければ終わりもない。
しかし現実の世界では変化というものは日常的にあり、これを否定することはできない。
その代わりに感覚を否定している。変化している、運動しているように見えるだけということだ。
感覚ではなく理性で物事をとらえることを主張している。
「ひとつのものをどんなに分割しても小さくなるだけで、消えることない」
という共通の結論が出てくる。
有は(どんなに壊しても)無にはならない
全てのことに絶対的な真実は存在しているとは言えず、人それぞれの価値観に由来する。
善悪についても、ある人にとっては善である行動が、違う人にとっては悪であったりする。
善だ、悪だというのは自分を基準として主張しているのであって、絶対的なものではない。
「客観的な真理などというものはなく、主観的・相対的真理だけがある」
ソクラテス 【無知の知の対話方法】
①相手の主張Aを受け入れる
②AからB(C,D)を導く
③Bから相手の主張Aの否定を導き、Aが矛盾していることを示す。
対話を通じて相手の持つ考え方に疑問を投げかけ、相手の矛盾や行き詰まりを自覚させ、相手自身で真理を発見させる。
プラトン 【探求のパラドックス】
人間は自分が知っているものも、知らないものも探求することができない。
知っているものについて探求する必要がない。また知らないものは何を探求すべきかということも知らないはずだから、知らないものを探求することもありえない。
しかしこのパラドックスでは完全にという前提が存在する。例えば物理学において彼が全ての物理法則を知っているのならば探求することはできないが、そうでないのであればその知識を越えた物理法則を探求することができるだろう。
また知らないということも、完全に無知ならば探求することはできないがソクラテスも言及しているように、知識は欠けていても正しい思惑を持っているのであれば探求するということは可能といえる。
アリストテレス 【四原因説】
自然学は現象について四つの原因を検討すべきであるという説
【質料因】事物の内在的構成要素
☆椅子においては材質
【形相因】その事物はそもそも何か 椅子においては、椅子そのもの
☆人が座るものということ
【作用因】どうしてそこにあるのかという原因
☆大工さんが作ったから、買ってきたから
【目的因】何のためにそこにあるのかという目的
☆部屋に必要だから 事務作業に使うから
【パルメニデス】
「あるものはある、あらぬものはあらぬ」という命題。万物は不変であるということ。
これにより、生成・消滅は不可能である。なぜなら生成とは生成とはあらぬものがあることになってしまうことである。消滅も同様に不可能だ。故に始まりもなければ終わりもない。
しかし現実の世界では変化というものは日常的にあり、これを否定することはできない。
その代わりに感覚を否定している。変化している、運動しているように見えるだけということだ。
感覚ではなく理性で物事をとらえることを主張している。
「ひとつのものをどんなに分割しても小さくなるだけで、消えることない」
という共通の結論が出てくる。
有は(どんなに壊しても)無にはならない