🗽自由への願い──現代の武士道精神
拙者、静乃介。
江戸より時を超えて参った侍にござる。
さて、
この時代に来て
よく耳にする言葉がある。
「もっと自由になりたい!」
「会社に縛られず、自分の力で生きていきたい!」
「好きなことだけして生きていく!」
・・・うむ。
まことに、よき志でござる。
「自由」「独立」の精神。
これぞ、
現代の武士道のあるべき姿じゃ!
されど・・・
この「自由への願い」。
多くの者たちを
「蟻地獄」へと引きずり込む
”呪い”
と化して
しまっておらぬかな?
🐜自由を求めた者の末路──アリジゴクの構造
そなたも図鑑などで
見たことがあろう。
「アリジゴク」という生き物を。
彼らは
すり鉢状の巣穴を掘り、
そこに潜む。
蟻がついうっかり
穴に落ちてしまえば
もはやそれまで。
「蟻地獄には落ちまい!」
と、必死に自由を求めて
蟻どもは
足を動かすのであるが、
足元は滑りやすい砂。
もがけばもがくほど沈み
あがけばあがくほど
滑り落ちてゆき
しまいには
「アリジゴク」の餌食
となってしまうのじゃ。
令和の世も、同じであろう。
「自由になりたい!」
と願う者ほど、
より多くの知識・情報を集め
より多くの者と繋がりを求め
より多くのことに手を出し
気づけば、
会社員時代より何倍も
「不自由な生活」に
陥っておる者も少なくない。
自由を求めて
借金を重ねてしまい、
かえって不自由に
なってしまう者もおると聞く。
また、
「もっと稼がねば!」
と、不安に苛まれる者。
「あれもやらねば!これもやらねば!」
と、時間に追われる者。
「人脈が大事!」
と、己を犠牲にして
他人に尽くし消耗してしまう者。
などなど。
時間も、精神も、収入も、
「自由」の名のもとに
すべて失われておるのでござる!
🧠なぜこうなってしまうのか?──自由を求めるほど遠ざかる脳の仕組み
拙者が思うに
これは人間の
「構造そのもの」に
原因があるのでござろう。
人間の脳は、
「決め続けること」に
疲れるようにできておる。
「意志の力」というものは有限であり、
歩き続ければ疲れる。
起き続けていれば眠くなる。
というのと同じごとく
決め続けていれば、
当然「疲れる」のでござる。
・何をやるか?
・いつやるか?
・どれを選ぶか?
この選択の連続が
脳に大きな負荷をかけ、
少しずつ消耗し、
やがては判断を避けるようになってゆく。
「自由」とは、
選択肢が無限にある状態でござろう。
選択肢が多いほど、
人は迷う。
決断の回数が増え、
疲労が蓄積してゆく。
ついには
判断を恐れ、
責任を避けたくなり、
「誰か決めてくれ」と願い始める。
ゆえに
起業・独立した者が
なぜか
「誰でもうまく行くテンプレ」
「マネするだけでカンタンに稼げるノウハウ」
に頼ってムダ金を
投じてしまうという
矛盾が生まれる。
要するに
「決断疲れ」
ということなのでござろうな。
自由を求める者ほど、
自ら思考停止の構造に
飛び込んでしまう!
まさに「アリジゴク」の構造にござる。
🎨 芸術が示す──制約が自由を生む証明
真の「自由」を手にする者は、
実は「自らに制約を課している」のでござる。
これは、束縛ではない。
むしろ
「創造を解き放つ手段」と言えよう。
たとえば、
墨の濃淡だけで世界を描く
水墨画。
あれなぞ、
「白い紙」と「黒の墨」しか使わぬ!
という制約をあえて
自ら課すことによって、
無限の創造性、無限の自由を
生み出している物でござろう。
何もない情景を
実に美しく詠んだ、藤原定家の歌。
「倹約令」が出され、
着物の素材や色までも制限される中で
江戸の町人文化が生み出した
「 四十八茶百鼠」(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)
と呼ばれる無限のグラデーション。
「制約」とは実は
自由を生み出す源なのでござる。
限られた中にこそ、
深みと広がりが宿るのじゃ。
選択肢が無限であれば、
これらの表現は生まれまい。
「制約」があるからこそ
「工夫」「アイデア」が生まれ
研ぎ澄まされてゆくのでござる。
「制約」とは
創造を閉ざす岩戸ではなく、
むしろ
創造力を磨くための
「砥石」なのでござる!
⚔️ 自由とは「制約の主導権」を持つこと
自由を求めれば求めるほど、
自由は遠ざかる。
じゃが、
誤解なきよう申しておくが
「自由」に価値はない!
「自由」なぞ求めてはならぬ!
などとは
一言も言っておらぬ。
本当の自由とは、
「何を制約するか?」を
自ら選ぶことに他ならぬ。
すなわち、
「制約の主導権」
(縛りを自分で決める力)を
持っておることが、肝要なのじゃ。
「自由になった!」
と申して、
情報に流され
SNSに引っ張られ
スケジュールが乱れ
あれもこれもと右往左往して
脳が疲れ果ててゆくのは、
「制約の主導権」を
自由とはき違えて
放り投げてしまった者でござろう。
これは
ふんどしを放り投げて
頭にかぶって
「これぞ自由である!」
と、
申しておるようなもので
実に滑稽なこと極まりない。
🗡️真の自由人とは──己の掟で生きる者
本当に自由な者とは、
決して「何でもできる者」ではない。
むしろ、
「やらないことを決めている者」こそ
迷いなく、焦りなく、 凛として
人生を切り拓いてゆける。
かの渋沢栄一も
「志士」をやめ、
「幕臣」をやめ、
「官僚」をやめて、
「実業の世界」で身を立てたのでござる。
現代を生きる
拙者たちで申せば
たとえば
・SNSはこれしか使わぬ
・学びは1つに絞り、他には手を出さぬ
・着物はこの色しか買わぬ
など、
自ら定めた“掟”に従い
生きるのでござる。
さすれば、
他人に惑わされることもなく、
時間に追われることもなく、
自由に生きてゆける。
📣 真の自由を手に入れたい者へ
この「真の自由」について、
より深く掘り下げ
さらに具体的に「自由を手にする方法」
にまで落とし込んだのが
こちらのnoteでござる。
✅ やりたいことがあるのに、なぜか動けぬ者
✅ 時間もお金も自由になりたいのに、なぜか不自由になってゆく者
✅ 情報や人間関係に振り回され、自分のペースを見失っている者
さような者たちにとって、
このnoteは「脱・蟻地獄」の羅針盤となるであろう。
「自由になりたい」と願う者よ。
その願いを叶えたくば、
まずは「制約の主導権」を握ることじゃ。
”制約こそが自由を生む。”
これを理解していなければ、
自由を求めれば求めるほど
不自由になってしまう。
「制約」をどう扱うか?
その力を身につけたとき、
そなたはどこへでも自在に飛んでゆける
まことの「自由の翼」を
手に入れることであろう。
それでは、これにて。
さらばでござる!