『働く女子の運命』濱口桂一郎著(2015)を読んで今後の賃金制度を考える
人事制度構築を生業にしている私にとって、この本は非常に考え深いものでした。本書は、「日本的雇用システム」(特に賃金制度)という切り口から、日本社会における女性労働者の状況について、「だからこうなっちゃっているんだ‼」と女性活躍がすすまない原因について解説されています。大変納得度の高い内容です。 本書は、日本型雇用システムの歴史を紐解きながら、幾重にも重なった女性労働に関する複雑に錯綜した姿を描き出していますが、今回は賃金制度に焦点を当てて、ざっと概要を説明します。 日本型雇用システムの特徴は、終身雇用、年功賃金、企業別組合の3つが挙げられます。いわば、終身雇用して、会社がその人の働く人生を丸抱えするというメンバーシップ型労働社会です。長期雇用を前提にして、新卒一括採用を行い、人材育成と生活を保障する代わりに、辞令ひとつで勤務地や職種は会社命令で動かされます。年功賃金とは、生活給がベースにある、「家族を扶養できる賃金」という発想からできあがっています。 一方、欧米で発達したジョブ型労働社会では、会社の仕事をジョブ(職務)に切出して、各職務を遂行するスキルのある労働者をはめ込みます。基準は職務記述書(ジョブディスクリプション)です。採用は欠員補充がベースであり、ジョブに対するスキルで賃金が決定します。昇進は、そのポストに応募した中から職業資格で最もふさわしい人を充てます。 では、日本型雇用システムはどうして女性活躍を阻むのでしょうか? メンバー型社会の根幹にある職能資格制度は、数十年にわたって企業に忠誠心をもって働き続けられる「能力」と長時間労働や転勤を受け入れられる「態度」を査定して来たからだと本書はいいます。この査定では、出産と育児を中心に担ってきた女性は、どうしても不利になります。 職能資格制度が世を席捲した70~80年代には、確かにそういう空気があったように思います。職能資格制度について、私はこの制度を創り出し、世に広めた楠田丘氏から学びました。職能資格制度はジョブではなく、人に貼りついた制度ではあるものの、「能力」を軸にしており、きちっと運用すれば「能力」に見あった賃金を決める制度です。ちなみに、職能資格制度では、職能とは「職務遂行能力」をいいます。「能力」、「態度」があいまいになりやすい基準であるだけに、解釈と運用が、そのときの社会や企業経営者に都合よくなさされてきた結果なのではないかと考えています。 また、職能資格制度は、賃金カーブを年齢給と職能給の合算で作ります。年齢給とは、その年齢児に普通の生活を送るために標準生計費から導いた賃金です。「賃金は生活できるものでなければ成り立たない」との考えが根底にあります。2000年頃、成果主義が叫ばれていた時代に楠田丘氏の講義を受けた私は、賃金は労働の対価と考えていましたから、それを聞いてかなり驚きました。なぜそこに生計費がはいってくるのかと。しかし、学ぶうちに年齢給は、楠田氏の労働者の生活に対する公正・公平で正義感の強い思想に根ざすものだ納得しました。確かに生活できない賃金では社会は遊み、へたをすれば暴動が起こります。犯罪も増えるでしょう。それはまっとうな世の中とは言えません。 しかし、70~80年代は、「雇用される男性+専業主婦と子どもたち」という家族構成でした。会社員である男性に対し、家族を扶養できるだけの賃金を支給できていたわけです。共稼ぎ世帯を想定したものではないわけですから、女性が男性と同様に働くと、賃金の構成から扶養的要素を削って、切出して女性の賃金を決めることが難しい状況が発生しました。女性が結婚するまでの腰掛仕事をしているうちは、補助的業務に女性を閉じ込めて、女性向け別建ての低い賃金表でよかったわけですが、均等法以降はそういうわけにはいかなくなりました。総合職、一般職という、ちょっとわけのわからない方法で、企業は乗り切ろうとしました。 そうこうしているうちにバブルが崩し、以降(1990年代)、企業は、従業員全員に「家族を扶養できる賃金」を保障できなくなりました。年功的に上がっていき、全員が高すぎる賃金になってしまう職能資格制度は見直しが迫られ、成果主義への転換が進みます。そんな中、無制限な長時間労働と成果競争の渦に女性も巻き込まれてしまいました。総合職は男性並み以上の労働で働き過ぎに陥り、一般職は非正規雇用にとって代わり、成果主義は失敗だったと言われるようになりました。 本書では、日本もジョブ型の賃金制度への移行が望ましいという考え方が底流に流れていますが、 私自身が現場で中小企業の人事制度設計にあたっていて、考えていることを述べます。 混迷する今の社会で、中小企業として生き延びていくためには、やはり長期雇用の視点は重要だと考えています。質の高い組織づくりは、長期勤続によって支えられ、継承されてます。従業員の勤務年数が短い組織は、組織の質が上がりません。長期勤続を支えるものの一つは、安定感のある賃金制度です。やはり、安心して家族を持ち、子どもに教育をつけて社会に送り出すことができるだけの賃金は、ベースとして必要です。しかしもはや、男性1人の稼ぎで世帯を支えていくに十分な賃金カーブを描くことはできません。共稼ぎ世帯が当たり前になり、シングルの方もいて、多様な世帯が存在する社会になって、従業員のモデル生計費のベースを導き出すことがとても難しくなってきました。片働きで世帯を支える生計費カーブではなくとも、もう少し抑えた形でも生活給を考慮する必要はあると考えています。 また、何をもって賃金を決めるかということですが、業種・業態、組織によって何が大事かは変わってきます。職種ごとの労働マーケットの価格も意識しなくてはなりません。今後は、ジョブによる職務給が主流になっていくように思います。習熟の側面から見ると、ジョブも能力もコインの裏表のように思えます。つまり能力が上がらなければ、一ランク上のジョブができないからです。そしてその能力とは何ぞや? 経営者の方の想いをヒアリングすると、理念の理解の深さとか、ビジネスマインドとか、人間力だとかいう言葉が出てきます。つまり、人としての成長なのですが、それを言語化することがすごく難しいです。しかし、働く人は組織の中で育ち、習熟していきます。組織としては、習熟の指針を明確にして、育成を促し、一人ひとりの習熟状態を捉えていかなければなりません。どうも現場では、見えやすく、解り易いスキルの上達よりも、能力に近いものの方に職場の皆さんの考えが行くようです。つまり、同じ行動をしているように見えても、その裏にある理解の奥深さが違う、そこが大事ということなのです。そこの処を何とか人事制度に何とか落とし込もうと努力を続けています。 人事制度構築で重要なことは、公正であること、筋が通っていて矛盾がないことです。ここがうまくいけば、産休・育休で職場を離れるキャリアの中断や、正規雇用、非正規雇用という雇用形態の違いも上手く制度上にのせてることができます。 非正規雇用者の割合が2016年は37.5%に上ります。問題はその賃金が正規の5割程度で欧米の8割比べて極端に低いことです。非正規雇用は70~80年代から世帯収入を補完する主婦のパート労働として広がってきました。夫の扶養の範囲として始まったため、安い賃金に抑えられてきたのです。また、正規雇用者の賃金がジョブではなく人に貼りついたきめ方であったため、ジョブ当たりの賃金を切出して算出できなかったのも原因です。 しかし、バブル崩壊以降、企業は採用を抑え、非正規雇用を増やすことで、高過ぎた人件費バランスをとるようになりました。いまは非正規雇用は男性にも広がり、雇用保険や社会保険のセイフティネットからも外れていて、世帯間格差が進んでいます。政府は同一労働同一賃金を叫んでいますが、日本型雇用システム思想で決める人に貼りついた賃金ではではそれができず、議論が巻き起こっています。いずれにせよ、賃金の決め方の根拠を明確にすることで、非正規雇用者の賃金も算定しやすくなるはずです。 賃金制度は、かくも女性活躍や、非正規雇用問題に結びついているのです。 日本型雇用システムは、社会や家族の在り方をも含んだ形で、大企業を中心に長い間日本の企業社会に沁みついてきました。いろんな所に歪が現われ、制度疲労は起きているのは皆分かっていても、変わっていくには時間がかかるのでしょう。しかし、しがらみのない新興のベンチャー企業や、社会に合わせて変わらなければ経営が成り立たない中小企業では、もうその姿はありません。変化の胎動は始まっています。働きやすさを求める有能な女性たちは、そうしたしがらみのない会社を選ぶようになってきています。それは若い男性の会社選びや働き方にも影響を与えていきます。 本書の最後は、「多重に錯綜する日本型雇用の縮小と濃縮の変形のはざまで振り回される現代の女子の運命は、なお濃い霧の中にあるようです」と結ばれています。 働く女子の運命 ((文春新書))働く女子の運命 ((文春新書)) viamasae's blog Your own website, Ameba Ownd