徒然せとか想い出帳

徒然せとか想い出帳

子どもの頃の回想、私の経験や思ったことを書いていこうと思います。

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こんにちは。

昨日は節分でしたね。
私は夕方から仕事だったので、節分らしいことは
何も出来ず、主人が買ってきてくれていた巻き寿司を今朝、頂きました。

子どもたちが巣立ってから、季節の行事に力を入れようとする気持ちが薄まりさみしいですね。


私の子どもの頃の思い出話の続きです。

小学校入学式
母のいない私はスーツを着た父と共に登校しました。
田舎ゆえに1クラスしかなく、保育所のメンバーが、そのまま持ち上がりで入学したなか、他の保育所から来た私をめずらしがっていました。

また、当時は父親が出席するのは非常に珍しく、それもまたクラスメイトの好奇心をそそったのだと思います。

入学したてのときは転校生扱いで楽しかった小学校でしたが、空気を読めない性格のせいで打ち解けられず、心を許せる友達はなかなか出来ませんでした。
勉強も苦手で嫌なことがあればすぐ泣いていました。
泣き虫な私を面白がり、男子が『出っ歯』とからかいはじめ、さらに泣き虫になっていきました。

年配の女の先生が担任でしたが、
毎日何かしら泣いている私に困り果てていたようです。

ある日、担任の先生がうちに家庭訪問に来ました。
祖母に
『せとかさんは嫌なことがあるとすぐに泣いてしまいます。泣いたら先生がどうにかしてくれると思っています。泣いて勝つ子です。』
と話したそうです。

それを聞いた負けず嫌いの祖母は
『人前で泣くなんてみっともない。恥ずかしいことよ。明日から泣きたくなったら走って家に帰って来なさい。泣いて勝つなんて二度と言われたくない。』
と言いました。

その次の日、理由は忘れましたが泣きたくなった私は、涙が出る前に走って家に向かいました。
学校から出たとたん涙が出ましたが家に走って帰るまでには泣き止んでいました。

でも、何も言わず走って家に帰ったことで担任の先生に怒られてしまい、走って家に帰ったのは一回だけでした。

先生には『人は親が亡くなった時しか泣いてはいけない』と度々言われ、私は泣きたくなったら我慢するようになり、いつしか泣き虫を克服しました。