~つづき~
私が野菜を育てたくなった動機はそんなところですが、
次に、では、なぜ子供を農業に触れさせる必要があるのかということをお話します。
クシ・マクロビオティックの久司道夫さんは、
「人間は耕作を始めて穀物を育てて食べるようになってから、脳が急速に発達し、文明が生まれた」
といっています。
文明が生まれたのは、農業のおかげです。
古代4代文明だって、大河の側で農業が発達してできたのですからね。
つまり、私たち文明を享受している文明人は、根本的に農耕民族なのです。
農耕で文明が発達し、農業をする人たちとそれ以外の農業に依存して生きる人たちに分かれました。そうしてしばらくすると、その農業をする以外の人たちは次第に自然のなかで農業をすることを忘れていってしまったのですね。
自然のなかで農業をすることを忘れていって、その結果自然のバランスが破壊されて、文明自体が滅びてしまったという歴史が過去にたくさんあります。
イースター島の文明もそういうふうに言われてます。それに、戦争は最も大きな自然破壊です。最近だって、農業をしない人たちの政策で土地に合わない単一作物を育てたり、大量生産をしたりで、農地が汚染されています。
農耕民族なのに農業を忘れちゃいけないんです。
こうやって都会に住んでいると、自然と調和して生きることを忘れがちです。
ただ、野山を歩いて自然と親しむこともよいのですが、農業を通して自然と調和していく、自然調和型の農業を追求していくことが人(農耕民族の人)としての存続上不可欠なのです。
農業が持続的でなかったらまずわたしたちの未来はないですからね。
そこで、「子育ては見守ること」と書きましたが、でも、できるだけ、自由でかつ全人的な人間に育っていってもらうためにも、(悠菜の「悠」(どこまでもはるかにみわたせる心)の字にはそんな意味をこめました。)子供たちには小さい頃から、農業に親しんでいって欲しいと願っています。
畑で作物が育って、それを食べて自分は生きているのだと、実感しておいてほしいと思っています。子供のころから農業を通して自然に親しむのと、大人になってから、こんなふうに頭で考えて農業に参加するのとはまた違った意味があると思うのです。
そこで、今回のバケツ稲づくりですが。
お米は、日本人の主食で毎日食べているもっとも身近な作物ですよね。私たちにとってはまさに、”No rice, no life.”です。
バケツ稲はその米がどこから来ているのか、どうやって育つのか、っていうのを自分たちで育てることで実感しよう、という1つの試みです。
なんだか、やたら長文ですが、文章が下手で伝わらないかも。
要約すると、子育てになぜ農業が必要かというと、子供たちには「なるべく、広く正しい見識をもった人に育ってほしい」と思う親ごころから、「農業は私たちのベースになっているものだから、それが社会の構造上私たちから切り離されてしまっているのなら、子育ての時点で結びつけておく環境づくりをしてあげましょう」ということかな・・・。
前回の流れでシュタイナー的にみれば、最初の7年期は心と身体を育む時期であるので、子供にとっては、身体をつかって土に触れて、いろんな生き物をみて楽しい。収穫物を食べておいしい。という感覚でよいと思います。
そんなわけで、次回は、私たちの生活と農業を結びつけるには、どんなことができるかというようなお話合いをしたいと思います。
でもまあ、子供のお菓子づくりも、講師決めもあるし、短めにさらっと。
けいこ
P.S.
お菓子作りですが、私は白玉粉と豆腐とみかん缶もって行きます。
講師決めは、前もってブログで出しておくのはむずかしそうなので、当日出し合って、決まらなかったら各自検討して後から投票かな?