むき出しに生きる「風の時代」 | シベンの体感型ワークショップ

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自身が長年取り組んで来ているタントラ・感情解放・瞑想を中心に語って行きます。

「風の時代」到来と言われています。しかしどんな時代であっても、どんな時代が来ても、常に自分自身の内側に静かに寛いでいられる事が出来たら良いですね。

 

外側の情報に左右されず、期待せずに(例えばトランプ大統領が勝っても、負けても…w)。 荒波が来てヒックリ返って、傷を負っても、また帆を立て直して、再出発出来るタフなヨットの様に、自分自身の軸がシッカリしていれば、それが良いと思います。

 

「むき出しに生きる!」

 

この言葉が今の僕の中でのキーワードとして何度もやって来ます。

 

 僕が属している瞑想やセラピー業界、そこで年数が経つほど、僕自身も含めて「自分が整っている風に見せるのが上手なエゴ」という罠にハマっているかも知れない。そしてそれが一番厄介で、そこから逃れる事は中々出来なそうです。自分がリーダー的立場になるほど、周りからのキラキラした期待を勝手に背負ってしまいがちだからかも知れませんw 自分のエゴを指摘してくれたり、アドバイスをしてくれる様な仲間も段々といなくなって行くでしょうし…しかしこの事は全ての人のケースに当てはまるのだと思います。

 

もしかしたら「風の時代」に上手く乗って行く為には、普段我々が被っている仮面を、とうとう最後まで脱ぎ捨てる必要性があるのかも知れません。近年は政財界しかり、芸能界しかり…と「虚構は直ぐにバレてしまう」現象が起こっていると感じます。

 

「むき出しに生きる」=「自分自身の本性を発見し、その通りに生きる」

 

しかしそれは中々難しい事なのかも…

 

何故なら、自分の中の不足を埋めたいが故の「むき出しに生きる」になっているかも知れませんし、コンプレックスが起因故の「むき出しに生きる」になっているかも知れません。あるいは承認欲求を満たしたいが故の「むき出しに生きる」になっているかも知れません。

 

それはどれも自分の本性では無い「むき出しに生きる」ですね。

 

そのような「むき出しに生きる」をやっていても、自分本来の本性では無いので永遠に満たされる事は無いと思われます。

 

また自分の本性で無い「むき出しに生きる」を続けていると、やがて大きなエネルギーダウンに陥るでしょう。それはあたかも傷口のかさぶたを無理やりに剥ぎ取り、そこから痛みを伴う流血を起こす様なものではないでしょうか。

 

ますます誤魔化しが効かない時代、それが「風の時代」だとしたら、今は外側に対して挑戦をする事よりも、先ずは自分の内側を最大限に掃除し、整える事の方が、これからの「風の時代」に軽く乗って行ける気がします。

 

コロナのせいで外側に向かう事が困難な今だからこそ、新たな時代の幕開けに際し、天がわざわざその様な準備をする機会を作ってくれている、そんな気さえします。

 

そしてそれくらい身軽になっていないと、もしかしたら、この「風の時代」に乗り遅れてしまうかも知れない。いや、乗る事すら出来ないかも知れない。ある意味そんな厳しい時代の幕開けなのかも知れませんね。

 

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