営業電話をかけてきたとある会社の営業、普段は知らない番号からの着信は取らないのだけど短時間で2回かかってきたから何かあるのかと思って出てしまった事がはじまり。割と名前の知れた会社でもあったしまぁ一回くらいは話を聞いてみてもいいかと判断してアポの調整を了承した。んで当日、結論からいうと時間になっても現れなかったので1分待ってZoomから退室した。定刻から3分すぎたあたりで鬼電がきたが全部無視。これが普段から付き合いのある人なら話は別だし、1分くらいたかが知れているのだが初めて話をするというシチュエーションと、先方からの依頼でのアポということが最終判断に至った経緯。

たかが1分くらい…という気持ちが彼らにあったのであれば、そういう会社と付き合ってもあらゆる場面で「たかがこれくらい…」という妥協が仕事に生まれるだろう。突発的な事象で…ということであっても、それを見越してアポの準備くらいするだろう、要するに準備と想定不足でこれもさっきと同じで一緒に仕事をするとなると問題のある考え方。遅くなるなら電話やメールの一本でも事前に入れる、それであればリスクヘッジは出来るんだなという事にもなるのだが事前に連絡もなかったし。自分からしたらそういったリスクを負ってまでわざわざ一緒に仕事をするつもりもないし、仕事をしないのであれば忙しいなかわざわざ話をする場を持つ必要もないということ。
自分も気をつけよ。
紛争や戦争のニュースを目にしない日は無い。
西対東、西対イスラムみたいな構図が多いのだけども、あいつらはおかしいという趣旨のコメントがヤフコメでは飛び交っている。日本は西側に属する国で、教育で西側の価値観を知らず知らずのうちに学んでいく。

自由、平等、博愛、日本は宗教に寛容な国だからここにキリストという属性は入ってこないが多くの西側各国にはここにキリスト教という軸も入ってくるだろう。日本は単一民族からなる国家だし、西側に属する国なのでこういう価値観に何の違和感も感じないし、他の価値観に触れる機会も少ないものだから、これが全世界共通の普遍的な価値観だと勘違いしがちなのだろう。理解し難い相手の行動を目の当りにしたときは相手の行動原則や価値観の理解が必要。

戦争や争いごとは「価値観の衝突・押し付け合い」だと思っている。西側にいる我々は例えばロシアがウクライナを侵略する大義が理解できない、ロシアの価値観を知らないから。ただ、ロシア的には侵略を正当化できる何らかの大義や価値観があるから侵略しているのだろう。分かりやすいのはイスラム圏かもしれない。男女差別、西側に向けたテロ行為、現代の価値観からすると全く理解できないが「イスラム教の価値観」からすると許容されるという事。アメリカや国連の人権筋の人たちがいくら声をあげたところで、彼らの価値観にはそぐわないから相手にされない。

戦争がなくすにはどうすればいいか?戦争は何も生まない、全く生産性のないものだという「価値観」を全世界で共有することなのかもしれない。武力なしでこれが実現できればいいのだろうが、今は攻め込まれたら反撃される、戦争状態になればたとえ勝利してもマイナスの方が大きいという事をもって「生産性が無い行為」という事を実現しているのかもしれない。

脱線したけど、戦争に対して正しいとか正しくないとかいう事は意味がない。日本人がいう正しい正しくないの価値観は西側のものであって、それが西側以外の国の価値観にそっているわけではないから。価値観を共有できている国同士の争いというのはあまりないだろう。大体が西対東、キリスト対イスラムのような、価値観が全く異なる勢力同士のもの。そういう勢力を超えた普遍的な価値観でもって、戦争は無意味なことなのだと知らしめる方法。
何かないものだろうか。
仕事上では良い付き合いをしているけども、仕事上の付き合いが途切れるタイミングで今後の関係性をどうするか悩む事がある。
いつか連絡するかもと思って連絡先を交換したところで連絡するのは10人交換して1人いるかどうかというのが体感値、今まで何度も転職してそのたびにlineやらメアドやらで連絡先を交換したものの…と。
良い付き合いをしていたのは「仕事」という土台のうえでの話であって、その人とは友達でも何でもないから土台がなくなった途端に話すこともないし、ゆえに連絡する必要もなければ連絡しようという気持ちにも殆どならないという。
結局、「いつか連絡する」という事には明確な目的はなく、目的がないから結局その「いつか」は一度も訪れないという。
この人とはプライベートでも遊びたいなー、とか話したいなーとか、そういうレベルでもいいから目的がないと連絡先を交換する意味はないって事なのよな。
うん、連絡先については聞かれれば交換は吝かではないが、自分からは聞かないスタンスでいいか。
自分の意見がさも世間や社会全体の総意のごとくいう人いるよね。
政治家の街頭演説でもまるで国民を代表しているかのような語りをする人も、一体何を根拠にそんな事をいっているのか。
○○は国民の声を聴いていない!とかね、いやまぁ確かに聴いてはいないんだろうけど何を根拠にそう断じているのだろう。
んでタイトル通り、自分がさも国民の意見を代弁しているかのように語るのだが。

その心はなんだろうかと思ったときに、おそらく自分の意見に自身がない事の現れなのではと。
薄っぺらい意見を「国民、世間、社会といった大多数の集団の意見だ」として厚みを出したいのではないかと。
こういうのは意外に身の回りにいるし、自分も多分無意識にやってしまっている事もあるだろうが、権威や権力者の名前を
借りて○○さんも言っているけど…とかさ。
常習的に主語がでかいやつは嫌いです。
産業革命の時もそうだったらしいが、新たな技術が出てくるとそれらに職を奪われるという危惧から、当時はラッダイト運動なんて動きがあったという事は大昔に習った。
今は所謂、産業機械的なところの話題ではないが、新技術の台頭によって失職するかもという流れは当時と同じ。
どこの会社もそうらしいのだが、現場向けの予測AIだとか生成AIのソリューションの提供というのはどうにもうまくいかないらしい。
よく言われるのは、結果が信用できないだとか、この程度ならば自分の勘の方がまだあてになるとか…散々な言われようである。

そもそも論、AIに従って動くだけなら高いサラリー払ってベテランの営業を囲っておく必要がないわけで、参考情報として結果を扱ってもらう、情報武装の為に活用
してくれと言っているのにやたらと敵視するのは根底に仕事を奪われるかもしれないという恐怖があるからなのだろうか。
AIに完璧を求め始めたら、君らが望む「完璧なAI」が登場した暁にはその業務において人間の経験や知恵は不要になってしまい、低賃金の素人にAIの指示を完璧に守らせる
だけで仕事が回ってしまうという未来が待っているというのに。
今の完璧でない状態だからこそ人間の知恵と経験が必要で両社がうまく共存できる状態なのだが…といつも思う。
これからの時代は多くの武器をいかにうまく扱えるかが問われるというのに、文句ばかりで使うものを使わないという行為そのものが自分の立場を危うくしていく
という事に気が付けない現場の人間がこれほど多いとは…。
自分には直接被害がないのだが、職場にパワハラ野郎がいる。
役職持ちではないものの、一応「仕事が出来る」と周りから認識されていて(私はそう思わないが…)一目置かれる人物である。
彼と一緒にチームになった後輩は一人は気を病む寸前までいき、辛いとそいつに相談したら「仕事全部巻き取るからさっそと病院いって休職すればいい」とだけ言い放ち、心配の言葉も何もなかったそうだ。「病院とかいう感じでは」と後輩が返せば、何だお前は嘘をついてたのかとまた叱りだすらしい。

他にも自分以外と後輩が会話をしているのが兎に角気になるらしく、上司と会話していようものなら何を話していたのか全て報告を求められるし同僚であっても同僚さんと話すことなんかないでしょ、何話してるわけ?と尋問めいた事をされるとか。半年や一年スパンでメンバーがころころ変わっているが、元メンバーが口々に言うのが「あの人と緒に仕事をすると力はつくから…」とか「視野が広がるから…」みたいな事を言う。

DV野郎やメンヘラ女と同じ香りしかしない。
「君の為に俺は厳しく指導しているんだ」が口癖らしいが、完全にDV野郎のセリフまんまじゃん。力がつくから、視野が広がるからという理由でハラスメントを我慢するなんてナンセンスだわ。力をつけさせれば何をしてもいいわけがない。それはそれ、これはこれ、問題をすり替えてはいけないのに多分思考が止まるくらい詰められてるんだと想像する。
リモートワークが定着して上司の目の届かないところで好き勝手やっているみたいだが…本当終わってる。
不愉快極まりない話ばかり聞こえてくるのだがどうしてくれようか…。

読み終わってから大分時間が経ってしまったが前回の続き。
意見というのは「価値観+その価値観を論理だてて説明するための根拠」という事らしい。
例えば、「大都市圏では自家用車は不要」という意見があったとして、

価値観として想定されるのは、「車の維持費は高い」とか「車は環境によくない」だとかいうもの。ロジックは「車の維持に駐車場代だとか車検だとかなんだとかで年間○○かかる」だとか、「排ガスが云々」みたいなもの、という事のようだ。
意見の衝突、つまり議論というのは2通りあって、そもそもの価値観から衝突しているケースと、ロジックが衝突するケースがあるらしいが、言語化する事に価値はありそうだけどもこの辺て慣れてくると特段意識しなくても「あのひとの主張って理屈が変だな」とか、「価値観がどうも合わないな」とか無意識にできる事ではある。

以前の記事で詭弁に関して書いた事があった気がするけど、「理屈がおかしい」の箇所がまさに詭弁が蔓延る部分だとも感じた。論点のすり替え、拡大解釈、その他諸々意識していないと議論がどんどんおかしな方向に行ってしまう。価値観の部分に関してはそもそも好き嫌いの部分だから、妥協ができるか・折衷案が出せるかにつきると思った。
「言語化」という点では意義のある本だった。
人に対してイライラする事ってあるじゃない、これって根底に相手に対する「期待」があるから。意識していようがいまいが、誰に対しても必ずあるはずの感情で、だから期待通りに動いてくれないとイライラする。大人に対して相手に頼んだことを忘れるとイラっとするけども、相手が子供ならそんな感情は起こらない。
なぜなら子供の当たり前と大人の当たり前は違うから、期待度が異なるから。
イライラしないためには相手に期待しないのが一番なのだけど、これが難しい。

閑話休題。
久しぶりに薄いけど本を買った。
議論とは何なのか、意見とは何なのかという事について書いてある。
曰く、意見とは「価値観+ロジック」だそうだ。
自身の価値観を第三者に納得してもらう為にはロジックが必要で、それらが合わさったものが意見として成立していると。まだ途中だから読み切った後に頭の整理もかねてまた書きたい。
立場が変われば見えてくるものが色々とある。人に優しくするには相手の立場を慮る事が必要だけども、それって結局経験値によるものなんだと思った。
現場にいた時は散々本社の悪口言ってたけど、本社に入ったら今度は現場に対して色々言いたくなるが…現場の事はよく知っているから慮る事ができる。
寛容であるには知識と教養、経験が必要で、そこに根差して相手の立場や思考を想像できるようになる。いつも怒っている人は何も知らない無教養な人間か、知っていてなお相手を非難する共感力のない奴か。

ただしかし、時代にあった知識とか経験なんてものはどんどん変わるわけで、俺の時代はこうだったからお前らもこうあるべきだ…みたいな経験は相手を慮るどころか逆の事をしているんだよな。知識・教養・経験があるだけじゃなくて結局人間性なんだろうか。

異動してもう三か月、時間が経つのがとにかく早い。
今年の4月ころからこつこつ(ダラダラ)勉強してた資格、年内に決着つけようと思って受験したがどうにか合格。これで年内の積み残しはなくなった。
今年度中にもう1個くらいとりたいところだけども、実務の方で必要なスキルの勉強もあるからそっちを優先したいところだが…。
折角毎日勉強する習慣がついたからこれを失くするのも勿体ない気がする。
資格は身を救うと信じてコツコツと。
引っ越しすると物件に合わせて色々と買い替えたり買い足したりするからある程度は仕方がないが…今回は過去に類をみないほどの出費。
関西はエアコンなしが当たり前らしく、エアコンつける段階でもう30万近い出費。とりあえずリビングと自分の仕事部屋だけだが、リビングはしょっちゅう使うものだから省エネ性能に優れたもの…自分の部屋はとにかく安いもの、それでも30万は余裕でオーバー。今後追加でほかの部屋にも設置するか否かだが…。

んで、やたらとでかいリビングの窓用のカーテン、既製品が合わないものだからオーダーするはめに。7万。
新しい部屋で暫く引っ越しも無いからという事でデスクを新調、3万。
このタイミングでエフェクターが壊れて修理代で3万。
毎年の事だが自動車保険の更新、5万。
運悪く車検が重なり、多分最低でも20万くらい…。

他にも急ぎではないもののなんだか欲しいものが色々と出てきているのだが…。
ボード用にスイッチャー欲しい。
眼鏡も買い替えたい。
ドッキングステーションも欲しい。