精神科的な自殺の考察の続き

 

 3つ目の要因は、これは一般的に考えられるように「自分では抱えきれない悩み」により絶望して自殺する人。ただ “抱えきれない悩み”というものは、本当の意味で“死に値する”ということはさほど多くないように思う。大変な借金、にしても、会社に大損害を与える失敗、にしても、ひどい事故を起こしてしまった、がんに罹って余命宣告された、などのショッキングな出来事や大変な状況に陥ったとき。いつも失敗続きで人生に疲れた、誰との交流もなく孤独で生きるのが辛い、という人もいるだろう。ただこういった絶望的な状況でも、「そんなことで死ななくてもいいんじゃないか」という見方もできる。借金なら破産するなり、夜逃げするなり、生活保護を受ける手もある。会社なら何言われようと辞めればいいし、病気でも残された人生を大事に生きよう、ともできる。孤独でもどこかで人とのつながりは探せる。若い人ならSNSでもいいし、高齢者なら地域活動、老人ホームに入るなども可能。それでも根本的な悩みは解決しないと思うだろうが、自分の居場所をどこかに見つけることは、その気になれば可能である。病気による痛みや倦怠感などの、身体的不快感だけはどうしようもなさそうだが、いざとなれば、医療用モルヒネを使うという手もあるし。

 

 さらに「そうまでして生きたくない」と言う人や「悩みに悩んだ末、死ぬしかなかった」と言う人もいるだろう。だがそれも悩みに囚われて“視野狭窄”から“思考停止”に陥るという、ある種の異常な精神状態といえる。精神医学的には「現実見当識がない」ということ。生きることを放棄するという最大の判断なのに「死ぬとどうなるか」とか「死んだ後、身近な人がどうなるか」とか「生きる方法はないのか」とか、先のことが想像できないのはおかしい(慢性的な希死念慮のある人などは少し違うが)。

 

こういう時に少しでも周囲の人が気づいて、ちょっとした声掛け、アドバイスをするだけでも自殺を防げるかもしれない。「無理せず休んだら」「そんなんなら逃げよう!」「辞めても生きていけるよ」。一人ではどうしようもなく思えても、誰かが一緒に考えてあげれば、生きようと考え直せることも多い。病状が重い場合、精神科医など専門家の支援が必要だが、そこに繋いでくれる人がいてくれればありがたい。受診した人では、挫折の連続で自殺企図したASDの人が、「生きていても仕方ない」と言いつつ母に連れられて入院。そこで初めて自分の病気を知り、楽しく生きる方法もあるかも、と気づいて、自殺しない道を選んだケース。交通事故で半身不随となり、自暴自棄になってアルコール依存、うつ病、そして自殺を考えた人が、友人の助けで病院に来て生きる道を選んだケースも。

 

 このように自殺を来す3つの要因を述べてきたが、現実的にはこれらが複合して自殺に至ることが多い。特に抑うつ状態で、うつ病の診断基準に満たないレベルの人が自殺するケース。仕事上のトラブルや経済的問題、家族関係など「人知れず悩み思い詰めていた」という人は多いだろう。また仕事による疲労困憊で心身消耗した人。精神的・肉体的に健康な人では、ぎりぎりのレベルまでは追い込まれても態度にも出さないから要注意。こういうきつい状態が続き、限界を超えると、視野が狭窄し、思考が悲観的なまま停止~混乱。衝動性も高まることも相まって、突発的に自殺したり、亜昏迷から自分でも気づかぬ間に“ふらっと”死んでしまう、という流れが多いと思う。

 

 今後は、自殺を予防する方法について具体的に考えてみたい。