息子が小さい時は1ヶ月に何度も実家に帰ってご飯をご馳走になったり、父と母が車で我が家に遊びに来る事もあったのだけど、息子が大きくなるにつれて、だんだんとお互いに足が遠のいて今は父母が遊びに来る事は皆無。
月に一度私たちが行くか行かないか。


昔は親の老いには気付かなかったのだが、会う頻度が減ったからなのか、久しぶりに両親に会うと急激に老けている事に気付かされる。


世話のかかる娘たちも嫁いで、孫も大きくなって気ままに2人暮らしをして完全に脳をシフトしたかのように、まさお爺ちゃんお婆ちゃんの姿になっているのだ。


母はまだ60代なのに耳が遠く昔から内向的で話しも一方的に話し自分の意見が一番正しいと信じてさらに融通がきかない事が多い。

人が話しているのにも関わらず自分の話しを被せて決して譲らない。

真面目で心配性で凝り性な所は昔から変わらないけど、老人特有の《自分は絶対正しい》という長年の経験からくる自信みたいなものが父と母共に強く現れていて、こちらの意見を全く受け入れる様子がない。


私が知っている両親とはまるで様子が変わってきていて、寂しさみたいなものを感じていた。


幼少期の母との良い思い出は、毎日綺麗に整理整頓された部屋を保ち、おやつの時間には手作りのツイスト揚げパンやフルーツインゼリーなどの凝ったお菓子を作ってくれた事だ。

あと、運動会で作ってくれた海苔巻きと唐揚げの味は今でも格別だったのを覚えている。
母の煮物や五目チラシ、なますの味は今でも勝てない。

私が喘息の発作が出た時にずっと背中を叩き続けてくれたり、夜食を食べさせてくれたり、辛くて眠れない時も私が眠るまでずっと寄り添ってくれていたのも母だ。

普段は眉をひそめ不機嫌が日常の母が、体調が悪い時だけ感じられる優しさが子供ながらに嬉しかったのを覚えている。


父は私が小さい時は本当に優しくて明るい人だった。
仕事が忙しくて平日は朝しか顔を合わさなかったけど休みの日はいつもどこかに連れて行ってくれるような、まさに子育ての良いとこどりをしている甘々な父だったけど私は大好きだった。

仕事をバリバリしていた頃はカッコ良かったし尊敬もしていた。


今は転職し違う仕事をしているが、昔のバリバリ働いていた頃の自分が誇りなのか今が不満なのか昔の父がいかに凄かったか自慢をして自分にヘコヘコしてくれる相手としかつるまなくなって裸の王様のようになってしまった。

実家に帰ると酒を飲み酷い暴言を吐き、実家に行く足が遠のいているのはこれが原因かもしれない。

ついこの間、父と母から三姉妹の末っ子である私に耳を疑う言葉を不意に浴びせられた。

父「我が家は子供は2人で良かった。3人も女はいらなかった。」
母「うん。3人目は男の子だと思って男の子の産着を用意してたのよ」


姉が気を遣って「でも孫(息子》にも会えたし娘で良かったじゃん!」

父「そうでもないよ。」
母、同意の顔。


突然、私と息子の存在を否定する会話を繰り広げられ、私はショックと両親の人格に対する絶望で言葉も出なかったけど、これが親離れ子離れできるきっかけで、節目だと割り切る事にして心を守った。


家に着くと涙が溢れてきたので無理に止めずに気が済むまでお風呂の中でシクシク泣いた。
とめどなく涙が流れた。


家族の縁は永遠に変わらず固く揺るぎないものだと思っていたけど、役目を終えたら、付かず離れずの距離でお互いの生活を個々に守って生きていく選択をしていいのだと思う。


形あるものは必ず変化する。


だからこそ毎日通り過ぎるように過ごすのではなくて目の前にある事に感謝をして一瞬一瞬を大切に生きていく事が大事なのだと思う、