10年前に11才の男の子が、校庭でサッカーのゴールの練習をしていて、
弊社のスタッフの場合、勤務し始めた途端、子供が発熱したり、入院したり、
若者のばっかりのカフェでビックリした
ボールが、校庭の塀を越えて、バイクで通った70代の男性にあたって、転倒、骨折、入院。
半年後に肺炎で死亡。2年半後に遺族が、両親と少年を控訴。
第一、第二は被害者側が勝訴、だが最高裁は両親に責任は無いと判決が出た。
事故と肺炎死亡の因果関係は不明。
一方的な報道かも知れないが、両親と息子の苦悩の10年を報道していた。
傷害保険が降りれば問題なかったと色々な所に書いてありました。
真偽はわかりませんが、そんな事が問題ではないと思う。
一審、二審が有罪で、最高裁で無罪。10年の歳月…
運が悪くバイクで通った男性は本当に気の毒で、残された遺族の気持ちは計り知れない。
ただ、校庭でたまたま遊んでいた10才の少年の小さな心も痛々しい…
家でゲームするより、よっぽどまともで元気な微笑ましい姿じゃないでしょうか…?
私は不思議に思う。学校で、校庭で普通に遊んでいて起きたアクシデントなのに、
学校側は10年もの長い歳月、家族、特に少年の心をフォローしたのでしょうか?
したなら、こんなに長くかかったのであろうか?
此れから子供達が公園でボール遊びの中で、このような事件が起きたら生かせる準備があるのだろうか?
"ゲームばかりして、勉強しなさい!"と叱責する前に何かしなくてはいけないのではないだろうか?
学校側サイドの話しが、全く見えてこないのも残念でした。
事故の責任は別としまして、10才の少年は
『僕はサッカーの指導をしたい。教員の免状も取ったが、指導者になっていいのだろうか?』
と言って暮らしていたらしい。心が折れずに勉学に勤しんだ事は唯一の朗報でした。
弊社のスタッフの場合、勤務し始めた途端、子供が発熱したり、入院したり、
学校から呼び出しを受けたり、その他何かアクシデントが起こる場合が多々ある。
私は偶然ではなく、母親のその子へのバリケードが急に外れた場合に起こるお知らせのように思っている。
母親も新しい環境に入り、心労も少なからず増えてくる。
家庭と仕事のバランスをとりながら日々を送る母は大変。
だってその中でも、
近所の奥様の容貌が変われば、すれ違い様に一瞬でソレをキャッチできる脳みそなんだから。
夫は引き出しを開けて、目の前にある印鑑さえ発見できない。
若者のばっかりのカフェでビックリした