今から14年前、タイのバンコクから車車で1時間のチェンライという田舎の村に、


農業のグッド!技術を伝える青年海外協力隊の青年がボランティアでやって来た。



和歌山県オレンジ有田(ありた)に住むヤスオさん、おん年24才。




チェンライ村は貧しく、若者は出稼ぎに出て、お年寄りをささえていた。


それでも、おにぎり食べる事もままならず、電気も水もまともにない村は

生きるのに必死しょぼんであった。


そこでヤスオさんは、村でタダ同然の梅が有り余っていたので、

梅干し作りをひらめき電球提案した。


だが梅干しを味見した村人達は、塩辛く余りに酸っぱい得意げので

頭を縦に振らなかった。


 でも、あまりに一生懸命に説得するヤスオさんのメラメラ熱意に負け、いえ、損得の無いヤスオさんの


利他心に心打たれ恋の矢たんだと思う。


あれから14年ずーと梅干し作りに精を出し、村は大変アップ潤った。


ヤスオさんは、村人達が梅干し作りを続けられるか、確認をすることができずに帰国せざるを得なくなり、


村人は「ヤスオに会いたい。ドキドキ彼は救世主だ。」とキスマーク口ぐちに話していたが、


連絡方法が無い…


貧しい村はバイクやTVまで手にする事ができ、家が建つと家庭が増え、子供がたくさん生まれる女の子男の子


パソコンが増え、


 奇跡のように、番組を通して涙汗の再会を果たす事ができました。


TVを見終わったら、私達夫婦はウルウル汗汗


その他にも和僑(わきょう)と言って、美容院美容師の技術をカンボジアに伝えに行ったり、居酒屋お酒のノウハウを伝えに行ったり、


大企業のバックボーンが無くても、個々にアイデンティティを生かして、アジアに渡る若者(若くなくても良いのダ!)が増えている。


このコツコツ、人を育てる努力を続けていける忍耐の強さは、日本人の素晴らしい能力グッド!です。


アングロサクソン系と違い、農耕民族である日本人は


  お米一粒から.たわわに実らせ、豊作にしてきた訳です。


早坂   隆氏(昭和17年の夏、幻の甲子著者』が面白い記事を書いている


『日頃はいい加減に見えるルーマニアの友人の、葡萄ぶどうの収穫の手伝いを積極的に引き受けたが、

  
  団塊ジュニアの私は最初に飽きて座っていたら、


  (何だおかしいな?日本は富士山世界一勤勉だと聞いていたから期待してたのに、最初にサボりだしたぞ、どっちが日本人だかわからないな)』

   『……     』(._.)  (._.)


海外飛行機で、ヤスオさんを初め日本若者達が、地道に外国で努力をしてくれている。


これはコツコツ123する勤勉さが、何より足元を固める!と言う事を

  すでに10代いえ、もっと小さい頃かもしれないが、身につけている事だという証拠だ。


いかに親御さん達の役割りが大きいか分かる。



暗雲が台風立ち込めている日本も心配だが、彼等のその➕の波動で、守って行っていただけたら良いなぁ、と願ってしまいます。