ちょっと人生の重い右下矢印話になる。
 最近までアメンバー限定にしていたブログ。
  
  前置きが多いが勘弁願いたい。(._.)
   
   長男の大病により、人生の辛苦を受け止め、利他心というものを初めて学び、経営しながらオンリーワンの仕事ができた。今は家族も従業にも恵まれ幸せである。

  今は彼にも恋人も居るが、言語の不自由が残り、結婚が大きな課題だ。

  人には乗り越えられる試練のみ天がお与えになる…なんてカッコイイ事も言える。

  事実そうかもしれない。殆どは時間も解決する。

  でも自殺する人達に言えるだろうか?

  私は人生を懸命に生きられていて(特にウソを聞く時間は絶対嫌だ).するべき事をされていたら、お寺に連れて行く。

   本来、そういう処に行くとかえって波動が低くなる。お願い、おねだり、"我"を置いて行く所がたくさんあるからだ。

   私は先祖供養と今までの感謝の為、月に1回参拝する。30年以上続いている。

  
    大病は先ず病院と自然療法。法規の問題は弁護士、先ずやるべき事はする。

  親や兄弟を選んで産まれて来る事は出来ない。我が子の悩みは大人になりきった"己れ"自身が克己していくのは当然である。

  でも親の悩みの子供達はどうだろう?
反面教師!なんて言えるまで自分自身を成長させるのが完璧でしょうが、虐待は?じゃあ、反抗期は?その時、彼らはいくつでしょうか?

  彼らにどのように努力させるんでしょうか?

  他にも方法はあるかも知れませんが兎に角、私は連れて行くだけ。何かのきっかけになればよい。
    
  20年ほど前だが、叔母の長男、つまり私の従兄だがうお座板前の修行をし、責任者までに出世したが、行方不明だと言う。30代の半ばだった。

   するべき事はすべてしたから、後はどうしよう?と叔母が言う。従兄弟には何十年も会っていない。

  理由を色々探るよりは、私はこの叔母を尊敬していたので何かしたかった。

  家事は完璧、夫 は公務員で、チューリップ赤チューリップオレンジ畑も耕し働き者。長女の私の母より祖母の世話をしていたからだ。

  兎に角、私の母ならわかるが、叔母に原因があるとはとても思えなかった。


   そこで、たまたま長年参拝に来られてたお茶のお茶先生にお会いした。その方が面白い体験をされていて、その経験から私にそれは"足留めの法"をかけていただきなさいと言う。はてなマークはてなマーク

  行方不明者を捜す方法は“足留め"と言うらしい。

   お茶の先生の娘女の子が、小さい時から叔母に当たる人が可愛がりすぎ、チョコレートチョコをたくさん食べさせたり、兎に角.干渉が強く、娘が叔母の所に行ったままになり、ずーと悩んでいたらしい。得意げ

  だから娘の足留めをしたのかなぁ?

  娘に厳しくしたら済むコトなのに、他力本願でいいんだろうか?聞いていてももどかしい。

  私のように強い人間は簡単にそう思う。
  
  が、世の中にはそうはいかず、藁をもすがる思いでお寺に来る人が何と多い事か!

   お茶の先生にしたら、 昔、叔母に余りに世話になったとか、深い理由があるんだろう。小姑だから気を使うのかもしれないが…あの時代はそれが礼節なのだ。

  それで、お茶の先生はお寺に日参して、その法をかけてもらったらしい。すぐにご主人が名古屋新幹線に転勤になったらしい。

  凄い、すぐに願いがかなった!と気を抜いたら、娘は叔母の所に下宿するしょぼんと言う。

   あれれ~でしょうね。あせる

   なんや、この夫婦は娘に振り回されて情けない!この先生、聞いているだけで本当にいらいらする。ドンッ

  【でもね、この優しさにやって来るお弟子さんをも多いんですよ。現に私もこの時から引っ越すまではお茶を習いました。】
    
    名古屋に娘を女の子引っ張って行ったらしまいやないの?白と黒フラッグしか知らないバカもんの私はそう思う。
  

   以前、ストーカーから離した奥さんのブログを書いたが、無理やり引き離しても次にもっと面倒な事になる場合が多い。

   病気の患部をいきなりスパッと切る方法と

   治癒するまで時間はかかるが体質は変わって行く という方法があるのと同じで、

   患部は消滅し無くなったが、別の苦しみが来ることがある。問題解決になっていない。

   間に人に入ってもらい、少しずつストーカーを離して行く。

  人の縁を切る場合、(命にかかわる場合は別だが).やはり自分に蒔いた種があるなら、こちらも苦しみながら少しずつ離して行かないと必ず後から代償はやって来る

  単に心がわりや浮気で相手を変えても、今の人以下の相手を選んでいる。一見、容姿や条件が良かったりしても、人を苦しめた分は差し引かれた相手と見て間違いない。

    話しはそれたが、それで困ったお茶の先生は夫婦で名古屋に引越した。

  ところが暫くして叔母の方から『頼むからこの子を名古屋に連れて行って!』と言って来た。

  原因はBFが出来て、深い関係にでもなったら困るという事だった。

   めでたく娘が両親の元に返ってきた。お茶の先生は泣いて喜んだらしい。

  この先生への理解は私のような性格では仲々できない。

  従兄の方も、すぐに銀行銀行に現れる情報が入り、叔母は見つける事ができた。今は婿入りして幸せである。

  不思議と解決時間が短縮され、参拝の人達が兎に角落ち着いて行く。それが良いか悪いかは私が決める事ではない。私はあくまでかけ橋の役割。なんの力も無い。

  性格や心がけが悪いなら、説教して私は相手にしない。

  偶然だと思う人も多いだろう。必死で祈ったという事。

  祈りはバカに出来ない。本当に岩をも通す。他人に対する無償の祈りの方が力はある。それと今迄の親としてこの事実を真摯に受けとめた点。

  私は他人から凄く努力する人だね、とは言われる。でも、すぐに切り開く事ができない人の為にお寺や教会があるんだろう、と私は思う。