皆さん、こんにちは。城好きアラタです。

今回は、徳島県徳島市にある”徳島城”を紹介します。

徳島城といえば、阿波青石が使われたブルーグリーンの石垣!!

 

 徳島城の歴史

まずは、ざっくりと"徳島城"の歴史をご紹介。

徳島城は、南北朝時代の1385年に細川頼之が渭山に築いた”渭山城”が始まりと言われています。

 

その後、1582年に土佐の長宗我部元親の手に落ちますが、豊臣秀吉の四国征伐後、蜂須賀家政が阿波領主となります。

阿波の西部にあった要塞堅固な一宮城に入った家政でしたが、狭く不便な地にあったため、利便性の良い渭山城に目を付けます。

そして、家政は渭山城と渭山の麓にあった寺島城を一体化して改築、1586年に徳島城が完成します。

 

その後、徳島城は明治に至るまでの280余年の間、徳島藩蜂須賀氏の居城であり、藩政の中心であり続けましたが、1875年の陸軍省による建物解体により、その歴史に幕を閉じます。

 

徳島城の跡地は徳島公園(のちの徳島中央公園)となり、一般の人たちにも開放され、1941年には徳島城表御殿庭園が国から名勝として指定、2006年には徳島城跡が国の史跡に指定されました。

数寄屋橋の写真
 

 徳島城跡をめぐって行く

それでは、実際に徳島城跡をめぐって行きます!

 

  復元された”鷲の門”

スタート地点は、”鷲の門”です。

 

鷲の門の写真

 

徳島城の南東に位置する”鷲の門”は、明治時代に解体された徳島城で唯一解体を逃れた建造物でしたが、1945年の徳島大空襲で焼失。

現在の鷲の門は、1989年に徳島市政100周年を記念して復元されたものです。

※門の前の道路の関係から、門の規模と位置は当時のものと異なっているみたいです。

 

この鷲の門の名前の由来ですが、徳島城に門を建設するにあたり、当時は城の修復や増改築には厳しい制限があったため、幕府に鷲を飼うための通用門として届け出たことから、その名がついたと伝わっています。

本当に鷲を飼っていたかは不明。

 

復元された鷲の門の屋根には、鷲の装飾が施されています。

かわいい。

鷲の門 鷲の装飾の写真

 

  徳島城の石垣は何故”ブルーグリーン”なのか!?

城内を歩いていると、他の城とは雰囲気が違う石垣たちが気になります。

石垣を見てみると、よくある灰色の石垣ではなく、青緑っぽい色をしています。

鷲の門付近から望む堀川と石垣の写真

 

下乗橋付近の石垣の写真

 

石垣がなぜ青緑っぽい色をしているのかというと、眉山で採れる”阿波青石”と呼ばれる変成岩(温度や圧力で組織が変化した岩石)が使われているからなんです。

青緑色の阿波青石は、阿波特産の良質な”緑泥片岩(りょくでいへんがん)で、ミルフィーユのように何層にもなっており、板状に割れやすいのが特徴。

城内の石垣が平べったく見えるのは、板状に割って加工しているからです。

 

石垣群の一部分に混ざっているピンクっぽい石垣も、”紅簾片岩(こうれんへんがん)と呼ばれる阿波特産の石です。

大手門付近の紅簾片岩の写真

 

ピンクの石垣を見つけると、ディズニーの隠れミッキーを見つけたみたいで楽しいですね。

 

ちなみに阿波青石は、水に濡れると更に色鮮やかに見えるとのことで、天気の悪い日に登城したのですが、けっきょく雨は降らずでした…ゲッソリナヌッ

 

  全国唯一の遺構である”舌石”

徳島城跡西側の旧寺島川沿いの石垣には、かつて屏風折れ塀という石垣から少し張り出した攻撃のスペースがあり、その張り出したスペースの柱を支えていたのが、”舌石”の呼ばれる飛び出した石垣です。

 ※徳島市立徳島城博物館に徳島城のジオラマがあるので、屏風折れ塀のジオラマを見られたほうがイメージしやすいかと思います。

館内は撮影禁止のため、ジオラマの写真はございません。悪しからず。

舌石の写真

 

この徳島城の”舌石”は、全国唯一の遺構ですので、要チェックです。

旧寺島川沿いには、6個の舌石が残っています。

 

  旧徳島城表御殿庭園の”青石橋”も必見

続いて紹介するのは、徳島城博物館に隣接する”旧徳島城表御殿庭園”です。

旧徳島城表御殿庭園の写真①

 

旧徳島城表御殿庭園の写真②

奥の建物が徳島城博物館です。

 

現在の徳島城博物館のある場所には、かつて藩主の蜂須賀家政が生活していた表御殿が存在していました。

その御殿の庭園として作庭されたのが、表御殿庭園です。

別名、千秋閣庭園。国の名勝にも指定されています。

 

作庭者は、関ヶ原の戦いで西軍に参加したのち、藩祖の蜂須賀家政に庇護を受けた上田宗箇(うえだそうこ)といわれています。

上田宗箇は、千利休の弟子で、作庭家でもあり、戦国大名でもあるスーパーな人です。

 

 

水を使わずに砂や石で水を表現する枯山水と小高い丘や池や水の流れを組み合わせて表現する築山泉水庭の2庭で構成された回遊式庭園となっております。

 

この庭園にも阿波青石がふんだんに使われていまして、中でも目を引くのが枯山水に架けられた巨大な”青石橋”

青石橋の写真

 

この青石橋は中央部分が割れているのですが、初代藩主の蜂須賀至鎮が奥方に毒を飲まされて、地団駄を踏んで踏み割ったという伝説が残っています。

地団駄踏みすぎじゃろ…。創作らしいですけどね。

青石橋の割れている部分の写真

 

  天守が本丸から東二の丸へ

最後に山城部分(本丸、東二の丸など)へ向かいます。

徳島城は、標高61mの渭山に(城山)築かれた山城部分と、渭山の周囲の平城からなる連郭式の平山城です。

先程まで見てきた箇所は、平城部分となります。

 

山城部分はぐっと雰囲気が変わります。何らかの神とかいそう⋯

東二の丸へ向かう途中にある石垣の写真

 

階段をゼーハー言いながら登り、東二の丸に着きました。

東二の丸の写真

 

築城当時は、本丸に天守が建っていましたが、1615年〜1624年(元和年間)に、何らかの理由で解体され、本丸から一段低い東二の丸に天守代用の御三階櫓が新たに築かれました。

天守台はなく、天守代用の御三階櫓は地面にそのまま建てられていたようです。

ちなみに東二の丸にあった天守代用の御三階櫓は、1873年の廃城令で撤去されています。

東二の丸の天守跡の写真

 

一般的に城の天守は、本丸に建てられることが多いのですが、徳島城は天守はなぜ東二の丸に建てられたんでしょうかね。

 

理由は定かでは在りませんが、東二の丸は山から突き出したような曲輪になっているので、城の周囲や城下を見渡すのが目的でしょうか。

 

東二の丸から周囲を見渡そうと思いましたが、草木に覆われていました⋯

東二の丸から東方面を望む写真

 

そして本丸へ向かいます。

立派な石垣がお出迎えしてくださいました。

無骨な野面積みが美しい⋯

本丸の石垣の写真

 

徳島城の本丸には、中央に御座敷、詰所(番所)や武具櫓、馬具櫓などが設けられていたようです。

残念ながら、現在は何もございません。

本丸の写真

 

今回はここまで。

ブログを読んで下さってありがとう!!