伝黒金門桝形付近から尾根道について作りました。
イメージ 1

黒金門のところの桝形は石垣の高さが手前側と奥側で不揃いなので、復元CGなどで櫓門をのせたような造りになっていたとすると不自然です。
なので、崩れによって天端の位置が変わってしまっている可能性もあると考え、修復履歴を確認してみました。
「特別史跡安土城跡修理工事報告書(Ⅰ)」によると、
”黒金門は現存する城跡のうち最もその規模がよく残っている遺構であったが、門跡内方の桝形を構成する西北面の石垣が甚しい弛緩を示し、入隅部分の石が脱落していると共に、その外方が崩壊して旧状を留めない有様であった。この部分より長谷川邸跡の台地に至るところが、昭和25年ジェーン台風の時に地崩れし、その影響もあったであろう。”
と書かれていて、別の部分では、
”石積は崩落部分に限って補修し、二ノ丸台地を構成する石垣は、その天端不明のためにあえて復旧せず、この部分の落石は二ノ丸西方台地に集積して保全を計った。”
と書かれている。
この事から、桝形を構成する石垣は北西部分のみが崩落していたという事。伝長谷川邸跡入口付近の石垣は天端まで崩れていいたため修復しなかった。という事で、桝形を構成する石垣は天端は残っていて崩れていたのは外側のみであった。という事になりそうで、現在見る事が出来る状態は廃城から昭和初期の間に積み直しされていない限り、往時の姿と同じといえそうです。
で、下の写真が「特別史跡安土城跡修理工事報告書(Ⅰ)」に掲載されていた修復前の写真。
崩れた様子も無く、現在と同じに見えます。
イメージ 2

昨年撮った写真です。まぁ、同じですね。
右隅に生えている木が時の流れを感じさせます。
修復当時に取り除いておけば楽に出来たのに。。。と思ってしまいました。今やろうとすると大変ですよね。
イメージ 3

という事で、高低差はそのまま作りました。
イメージ 4

北側と通路を挟んだ東側の石垣は同じ高さですが、西側の逆L字状の部分は約145cm程度低いのが特徴です。実際は逆L字部分の石垣も南側に行くほど高さが段階的に低くなっているのですが、今回はそこは省略して同じ高さにしています。スケールが小さいので、高さが低いと貧弱に見えてしまうので黒金門という主郭の玄関にあたる石垣という事で立派に見えるようにと考えて。
イメージ 5


次は、黒金門直前の石垣です。
ここの石段は全部で35段あります。高低差は約6.8m。
イメージ 6


6.8mを35段とすると1段分は194㎜で、縮尺的には1段約0.3㎜になります。
という事で、0.3㎜プラ板を35枚積層です。
イメージ 7


この部分を作るにあたって問題になったのが、石段部分ではなく、石段側面部分や南側の部分がどうなっているのか。
発掘調査報告書を探しましたが、次図の様な平面図はあるのですが、側面の様子や断面図がなく、平面図には石段の途中から東側に向かってから南側石段で降りる様な経路の通路の遺構があるのがわかるのですが、この図だけでは高低差がわからないので、高さ方向がどうなっているのかわかりません。
イメージ 8
現地で確認しても、当然ながら発掘したところは埋め戻されていて、手前側に石が一つ見える程度でその他はただの斜面にしか見えない状況。
イメージ 9

そんな感じで困っていたところ、偶然ネット検索で次図の写真を見つけ少し様子が明らかになりました。
「特別史跡安土城跡 ―発掘調査の5年―」という本のいち頁を撮影した写真の様ですが、本のタイトルをネット検索しても見つからないのでごく少量発行の一般的には流通しなかったものかもしれません。
イメージ 10

この写真を手掛かりに、石段南側面付近を想像しながら立体化しました。
イメージ 19


そうして、次写真の様になりました。
上記写真を見つける前は脇の通路は東側に移動する部分は水平移動になる考えて作ってみたのですが、水平だと写真の様な状況にはならず辻褄が合いません。
何度か作り変えてみたものの、結局のところ新たな資料等が無い限り悩んだところで同じなので、写真の様子に一番近くなるような状態にしてみた感じです。
通路としては一旦上がってから、下がるような経路になるので何らかの意味がなければおかしな状況なので、いまひとつ納得できていませんが・・・
イメージ 11

次に尾根道周りです。
尾根道に関しては、資料がそろっているので、その点では問題はありませんでした。
次の図は、上が発掘調査の遺構平面図、下が、整備後の平面図。
尾根道の石段は大手道以上に石段の残存状況が悪く、ほとんど残っていない状況だったようです。
イメージ 12

尾根道を上から見下ろした様子の写真です。
イメージ 13

下から見上げた様子。一番手前付近は大きくえぐられていて現在と大きく様子が異なっていたようです。
イメージ 14

資料によると、手前側の部分はほとんど手掛かりとなる石が検出されなかった様で、複数プランの中から選ばれた推定復元になっているようです。
イメージ 15

本当の様子がどうなっていたのかは非常に気になりますが、現在整備されている状況に合わせて作成するしかありません。石段の段数も実際の数に合わせて作りました。
イメージ 16

石段の南側(右が南側)の石垣ですが、発掘状況が前記のような状況のため当然ながら実際の高さはわかりません。なので、ここの石垣の目的を伝信忠邸の目隠しと推定し、1.5m程度としてみました。
イメージ 17

山の斜面はこの後パテ盛りしていきます。
イメージ 18