前号の続きです。(今日も 地味に ブログを書き続ける管理人でございます)
御頭祭に捧げられた獣の頭 75頭
白人神社の宮人 75人
古き神社の祭事、 神饌の 75膳
これらの「75」は、どういう意味の数でしょうか。
「日本の中のユダヤ文化」)(久保有政著)は、次のように説きます。
「75 は イスラエル民族の父祖 ヤコブが 家族とともにエジプトへ移住してきたときの人数とされる
聖なる数である」
サアマリア五書(北王国イスラエルの 10氏族が使っていたモーセ五書)に
「ヨエフは人をやって、父ヤコブと、75人の全親族を(エジプト)に 呼び寄せました」 とあります。 ← サマリア五書を持つラビ ( いかにも古そうな書物。というか巻物です)
また、中国・開封は、ユダヤ人の街として栄えたことで有名ですが、このシナゴーク(ユダヤ系の教会)
の宮人も、75人 なのだそうです。
そうなると、 「75」 という数は、サアマリア五書に由来するという説に 管理人も同感です。
この75人という 人数が、その末裔たるイスラエル人にとって、栄光の人数であり、誇りとなる人数だったのではないでしょうか。
イサクは、生贄にされる寸前に、神のご加護で命が助かりました。
そのイサクの子孫である親族75人が その人数の数だけ 羊を生贄として神に捧げたとすれば・・・。75頭になります。
はるか遠い昔、聖書を信じて 東にむけて放浪したユダヤ人が、日本にたどり着いたとしたら、
どうなるでしょうか。
自分たちは栄光の数 75 を きっと忘れなかったのでしょう。
(ここからは 管理人の妄想です。)
ユダヤ人の末裔は
淡路島に上陸して、初めに洲本に「ユダヤ遺跡」をつくり、阿波に向かったと思われます。そして
徳島県の吉野川沿いに勢力を拡大し、そして
白人神社を造ります。
その白人神社の宮人を 75人として、
ユダヤ的な神殿 岩境神明神社を造り、
神社の神前に 祭事・75膳の神饌
を捧げたと想像できます。
そして、さらに諏訪に進出。
御頭祭りの神事 鹿などの獣の生贄を
75頭
奉献したのではないでしょうか。
になった のではないでしょうか。
しかし、これは 歴史的に 一体、いつ頃の出来事でしょうか。
今日はここまで
ワンワンワン!!