タイトルがなんか他人事のように聞こえちゃうけど、
これって、正直な感想だと思う。
自分は、被災しなかったから、こんな感想になってしまうけど、
関東にいる自分のところでも2回目の大きな地震の時、揺れを感じた。
テレビ画面に表示された、地震速報の文字を見て、はるか離れた場所での大地震であることを知った。
そして、次々と正月番組が緊急報道番組に変わっていった。
テレビ東京でさえ報道番組に変わったときには、事の重大さを感じた。
津波警報が発せられ、さらに注意喚起する大津波警報が発せられた。
今では、ネットニュースに取り上げられている、NHKの女性アナウンサーが必死に避難を呼びかける声がテレビから流れていた。
確かに、ちょっと甲高い声で耳障りが悪かったけど、避難の重要性が感じられた。
次に、飛び込んできたのは、街が火の海になっている光景。
津波と大火災。
口には出さなかったけど、阪神淡路大震災と東日本大震災の両方が発生したのではないかと感じた。
発生したのが16時過ぎで、だんだん日が暮れて、ひっきりなしに揺れてて、現地でも外部でも状況がわからないまま夜が明けたような気がする。
翌日になって、いろいろな状況が分かってきた。
現地に入った報道機関からの状況報告や被災された方の動画などで。
個人的には、倒壊した家屋や地割れした道路など、被害の大きさを知るよりも、被災された方の動画にある種の感動みたいな、日本人の防災意識の高さを感じた。
具体的には、津波に対する危機意識だ。
自分も含め、東日本大震災の時に見たテレビに映っていた津波の映像は、少しは記憶している。
津波そのものの大きさと当時は甘く見ていた津波の威力。
当時は津波に巻き込まれた人が多くいたと記憶している。
しかし、今回、被災された方の動画に映っていたのは、いち早く高台に避難する姿。
逃げ遅れている人に呼び掛ける人の姿。早く避難することが難しい高齢者を背負い高台に移動する人の姿。
同様に、土砂崩れしている中、避難を呼びかける人の姿。
こんなにも、この地域の人は防災意識が高いのか。
自分が今まで生きてきて、大震災と呼ばれるようなものがいくつかあった。
でも、ありがたいことに、水害にあったこともあったが、避難所で数日、生活するようなことはなかった。
大規模な災害が起こったとき、ただテレビで見るという、ある意味幸せな立場で、生活することができている。
揺れも徐々におさまるだろう。
家屋の被害がひどく長期にわたる避難所生活をしなければいけない人。
自宅で生活できるもののライフラインが止まり、それなりの支援が必要な人。
今日岸田総理が国外からの支援は、いったん断っているとの報道があった。
確かに、現状では、国外だけでなく、被災地外からの支援は選ぶ必要があると思う。
無計画な支援物資の搬入や個人的な支援物資の搬入。
今どきは被災地外のyoutuberによる動画撮影。
などなど。
地震が発生して3日が経って、いろいろなことが分かってきて、今後の被災地特有の問題が分かってきたけれども。
正直、大規模地震が発生した直後に感じたことは、
「今年はどんな年になるんだろう」
と、思ってしまいました。
そして、翌日に、羽田空港で、あの事故が起きた。