今日は、ボクがなぜ、「じぶん発見プロジェクト しろにじカーサ」というワークショップをやり続けているかを書きたいと思います。
長いです(笑)。

去年かおととし、自尊感情(自尊心・自信)を扱う講座に参加したときに、人間の自尊感情というものは、親から得られる共感によって育まれる基本的自尊感情と、成功体験によって積み上げられる社会的自尊感情があるということを学びました。

ボクは、親から愛されていたんだということを理解したのは、まだ最近のことです。

子どものころ、なりたい自分と、親が望む子どもになって欲しい将来像が食い違うとき、たとえ親からたくさんの愛情を受けていても自分が望む形の愛情ではないので、親からの共感を得られず、わかってもらえない自分をダメな存在だという認識が入ってしまうと、自己否定感が強くなり、自己肯定感が育まれないといいます。
そういう人たちは、人並みの自尊感情を持つために、そうでない人よりもたくさんの成功体験を積み重ねないと自信が持てなくなるのだそうです。
そうして作り上げた自尊感情成功体験がベースだから、大きな失敗によって、社会的自尊感情の部分はごっそりそげ落ちてしまい、基本的な自尊感情を持っている人に較べて、またたくさんの成功体験を積み重ねなければならないということになるそうです。
小さいころに、そのままの自分でありのままでいいんだ、という確信を持っている人とは土台がまったく違うわけです。
けれども、親からの共感を得られなかった人は、絶望的かというと、大人になってからでも、たくさんの共感を得られるとちゃんと基本的自尊感情は高まるといいます。

人に認められないと自分らしく生きられないというのはそういうところに由来します。
だから、人に認めてもらったり理解されたり、ということは、自分がありのままでいいんだという基本的な自尊感情につながるわけです。

これは、セクシュアルマイノリティに限らず、親の望み通りに生きられない人はみんなこういう傾向が出やすいわけですが、多くの親は結婚して家庭を持ち、子どもを持って安らぎのある家庭を持つことが幸せだと思い込んでいます。
それができないセクシュアルマイノリティの人たちは多くが「わかってほしい」「認めてほしい」と思うわけです。
そして、その一般的な人たちと違う形の幸せを模索するセクシュアルマイノリティの人たちは、理解されない社会に絶望をしていくわけです。

親が、普通の希望を子どもに持つと、それに添えない子どもは苦しみます。
親の期待に答えられない自分を親不孝者だと思うし、できれば、なんとか少しは我慢して普通の結婚をしてみようかなと、一度は考えるんじゃないかと思います。

ボク自身、親がボクは違うと気づいてくれて、それでもいいよ、お前はお前らしく生きればいいよと共感してくれていたら、どんなに自由だったかと思います。
それでもボクは、最終的には周りが認めてくれなくても、自分が幸せだと思う生き方を貫きたいと思いました。

もちろん、この生き方がすべてではないし、自分らしさより、協調を重要視する方もいることでしょう。
ボクの生き方だと、どこでもカミングアウトすることになりますが、それが苦痛な人は、幸せの形として、ボクとは違う選択をする人もいるでしょう。
どちらがいいというわけではありません。
たまたまボクが自分らしく、それを堂々と生きるということのほうが苦しくないというだけです。
少なくとも、ボクは自分の本当の気持ちに実直であることが、いちばん自分らしい素直な生き方だと思っています。

「じぶん発見プロジェクト しろにじカーサ」にこだわるのは、すべてのひとにボクの生き方を選択肢のひとつに加えてほしい気持ちがあるからです。
もちろん、この生き方を選ばなければいけないということでもありません。
自分らしさを追究して欲しいのです。

カリキュラムとしては、1年分12回に凝縮してありますが、自分らしく生きるうえでは、自己理解・相手理解(他者理解)・自己開示・社会理解が必要だと思っているし、自尊感情のためには最低限必要なことだと思っています。

親から充分な愛情を受けてきた人たちは、共感の必要性がわかりにくいのだと思います。
そうでなくても、マジョリティ側だと思っている人は大多数なわけだから、萎縮もせずに、勇気を振り絞らずに、また人に変じゃないかなと思われる不安を持たずに、普通にありのままの素を出していれば、そのままでいいわけで、共感を貪る気持ちがわからないのだと思います。
そして、そういう人たちは「どうしてそんなに認められないと自信が持てないの?」と疑問に思うんだと思います。

親からなかなかわかってもらえなかったと感じる人も、大人になってからでも共感してくれる人を増やしていくと、「別に自分はこのままの自分でもいいのかもしれない」と思えるようになることがあります。
そうすると、自己否定感は少なくなり、「自分はダメな存在だ」とはだんだん思わなくなります。

基本的自尊感情のベースがある人は、幾度かの成功体験で自信は人並みにつきますが、ずっと疎外感や孤独感を味わっている人は、自分ひとりの努力で積み上げた自尊感情は、失敗によって立ち直れなくなるほどなくないまい、絶望しどん底に落ちるわけです。

共感によって培われるのは、基本的自尊感情です。
基本的自尊感情で養われるのは自己肯定感だと思います。
実は自己肯定感だけでは、将来に対する不安は消えないので、なかなか成功に至る行動ができないのです。
不安がブレーキをかけます。

成功体験によって培われるのは、社会的自尊感情です。
社会的自尊感情で養われるのは自己信頼感だとボクは思っています。
成功体験を積めば積むほど、新たな経験に立ち向かう不安はあっても、「自分はきっとなんとかする」という根拠のない自信が生まれてくることがあります。
明確な根拠はないけれど、何とかして成功してきたことは、きっと今後も成功体験を作ることが出来ると思えるようになるわけです。
「なんでもひとりで乗り越えてみせる」という傲慢で自信過剰な自己信頼感ではなく、頼るところは人に頼り、自分の能力は発揮できるところはアピールができ、ちゃんと人の協力も得ながら「きっと乗り越えられる」という自己信頼感です。

自分に、自己肯定感があり、さらに自己信頼感もあると、自分の気持ちにも寛容になるし、人にも頼るべきところは頼るから、他人も肯定し信頼できます。

そうしてコミュニケーションを作り上げ、自分の自信もあり、人の大切さも知り、しかも社会のルールやモラル、社会が求めているものも知っていて、自分の立ち位置が理解できていると、ちょっとくらい人と違っていようが、社会に自分らしいありのままで存在し、社会で何らかの役割を担うこともできるわけです。

「じぶん発見プロジェクト しろにじカーサ」が目指すのは、この理念を伝えていくことです。
必ず、役に立つ方がいるはずだとボクは思っています。

そして、もうひとつ問題なのは、この生き方が活かせるのは、豆腐さんのようなマイノリティだけだと誰もが勘違いしている点です。

ボクはマイノリティの要素が多いから、人との違いを常に痛感していますが、普通に働いているときや、自分がマイノリティに属さない分野では、いたって常識的で普通です。
マジョリティの側に属する場面もたくさんあります。
何から何まで誰とも考えが共有できないわけではありません。
同様に、今自分がマイノリティだと認識できない人も、もしくは、自分はマイノリティではないと思い込んでいる人も、時と場合と状況によって、誰もが必ずアウェイ感や疎外感をどこかで味わっているんです。
ただ、それは一時のスルーや我慢でやり過ごすことが出来るし、スルーや我慢をする方がその場は簡単だから、そうしてしまうわけです。

その我慢みたいなのが、積もり積もる特うつ状態みたいになったり、自暴自棄になったり、ひどいと精神障害みたいになったりするのだと思っています。

最初からひとそれぞれ自分らしさは持っていて、人と違うことを受け入れられない人は、自分らしさを普通という概念とごちゃまぜにしているだけだと思うんです。
自分の人との違いも個性としてダメ出しをせずに受け止めて、相手の人と違う部分も理解しようとする努力をし、自分も他人もそのままでいいとなると、誰も苦しまないし、不用意に人を傷つける発言も少なくなっていくわけです。

悲しいけど、人は普通、自分をOKにすると相手や周りはOKにならない心理が自動的に働きます。
これは心理として当たり前のことです。
自分も相手も考え方が違っても両方OKにすることは、意識しないとできません。
自分がOKなときに相手を非難したり攻撃する伝えかたしか出来なくなるのが普通の心理の動きです。

だから、マジョリティもマイノリティもみんなにやさしい社会を作るには、あれだけのカリキュラムが必要だし、足りないくらいだと思っています。

今回は文章で伝えにくい部分を動画にしてみました。
今回書いたことまで動画に盛り込むと何時間あっても足りないから、「じぶん発見プロジェクト しろにじカーサ」でどんなことをカリキュラムにしてやっているかを20分にまとめました。
動画を見て、少しでも興味を持った人が、1回でも「じぶん発見プロジェクト しろにじカーサ」に参加すると、全部受講する意味を感じてくれる人がひと握りくらいは出てきてくれるんじゃないかな、と思っています。

最後にもうひとつ。

これから高齢化社会になり少子化が進むこと、そして、東京オリンピックも控え日本が世界を牽引していく国のひとつになっていけば、日本人の海外流出も増え、外国人の日本への流入も増え、ハーフやクウォーターも増えて、ますます多様化が進みます。
日本古来の「調和を重んじる、みんなと同じがいい文化」も固持していれば、人間が社会的動物であるにも関わらず、みんなバラバラの考えや信念を持ち、日本の社会は成り立たなくなっていきます。
今マジョリティに属していると考えて止めない人も、多様性を受け入れざるを得なくなります。
日本の美しい伝統や文化や風習を守りながらも、多様性を受け入れて、自分も相手も社会もどの考え方もOKになっていかないと、日本は世界から置いてきぼりを喰らいます。
これは、マイノリティだけの問題ではなく、今マジョリティだと確信している人たちを含めた社会全体の危機になります。
考え方を柔軟にできない人たちの対立しか生まないと思います。

こういうことを考えたうえでの、ボクが伝えたい、知ってほしい、学んで欲しいと思っている内容が、本当の「じぶん発見プロジェクト しろにじカーサ」の内容であり役割だと思っています。

せっかく動画を作成し公開したので、この機会にちゃんとこのことを伝えたいと思いました。

最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。
共感してもらえたら、ぜひ応援してください。

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